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250927-動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生

2025年9月27日(土) 動画による祈りの会

【由佳先生】
○皆様おはようございます。9月27日、動画による祈りの会にご参加くださいまして、まことにありがとうございます。

○毎回お伝えしているような気がしますけれども、もう月日が経つのが早く、あっという間で、もう9月も終わりとなり、2025年もあと3カ月となってまいりました。

○少しずつ季節的に涼しくなってきたかなと思いつつも、まだ暑い日が続くというのを聞きますけれども、改めて9月の初めに神聖復活祭が無事に滞りなく行われたことを振り返りますと、改めて私は、神聖復活祭のときに次元が上昇していったこと、そして、私たち白光真宏会も『神聖』というテーマで、見えないところで大きな進化・変化を遂げているということを感じていました。

○また神聖復活祭において、改めて私自身、『神聖復活の印の凄さ』を感じることができました。

○皆様方が日々組まれている『神聖復活の印』。その印の働きや響き、光というのは、昌美先生が「ずっと消えることなく、地球上を覆っている」とお話くださいましたが、この一年で亡くなられた“みたまの方々”もまた、皆様が組まれた神聖復活の印の光・響き・力によって、どれほど救われ、真理に目覚め、そして光そのものへと転生していっているのかというのを感じており、やはり神聖復活の印の凄さ、そしてそれを組み続けている“お働きの凄さ”を感じていました。

○自然霊園に埋葬された多くの会員の方々や、もちろんそうでなくとも、法友神の方々が常に私たちとともに天界でお働きくださっておられますが、一年に一回、神聖復活祭の当日は、天地の境目が取り払われ、天地一体になって働かせていただいていると言われますけれども、それを改めて神聖復活祭のときに感じさせていただいております。

○またこれからも、更なる進化を皆様とともに、神聖復活に向けて歩んでまいりたいと思いました。

○少し長くなりましたが、以上です。ありがとうございます。今日もよろしくお願いいたします。

【真妃先生】
○皆様、今日もご参加いただきまして、まことにありがとうございます。

○私たちは長年、「世界人類が平和でありますように」というお祈りをしてまいりましたが、今日もまた特別プログラムの中で、改めて会員の皆様とご一緒に長年の光の響きを、祈りの響きを鳴り響かせてまいりたいと思います。

○MPPOEIの活動で、私は先々週アメリカに行かせていただきました。また来週、再来週は、別の国に行かせていただく予定になっております。

○それは、ピースポールを建立したいとおっしゃる方々の想いや、フラッグセレモニーをやりたいという方々の想いを受けてのことです。

○そのように今、行かれるときは海外に行かせていただいているんですけれども、そのときに本当に感じているのは、この「世界人類が平和でありますように」という言葉を聞いた人たちが、瞬時にこの祈りと繋がっておられるということです。

○この祈りというか、“メッセージ”ですね。皆さんがこのメッセージと繋がって、このメッセージが持つ深さや大切さを受け止められています。

○そのなかで、人々がこの祈りの真髄に繋がるスピードの速さが、私が10年前、20年前に海外に行かせていただいたときと今とでは、まったく違っているということを感じております。

○皆様方もご自身の日常の中で、同様の感覚を持たれているかもしれませんが、この祈り言葉「世界人類が平和でありますように」というこのメッセージというのは、会員ではない方々にとっては、ただの言葉であり、メッセージだと思いますが、このメッセージは『人類共通のメッセージ』だと思うんです。

○「このメッセージを心の軸に持つことこそが、これからの私たち一人一人が大切にしていかなければいけないことなのだ」ということに気づかれる方々や、このメッセージに出会えた喜びのようなものを感じられる方々の層が、今本当に広がっていると感じています。

○この広がりを感じるたびに私は、こういうふうにこのメッセージが広がっているのは、こうして白光真宏会の会員さんたち、私たちが、常にこのメッセージ、この言葉に『祈り』という響きを乗せ続けているからだと思っております。

○言葉は意識の乗り物であって、その言葉にどんなエネルギーを乗せるかで、その届き方が違ってきます。私たちのメッセージが届いた先の人たちの受け止め方が異なってくるということです。

○なぜ「世界人類が平和でありますように」というこの言葉がただの言葉ではなく、この言葉に深みがあり、真理があり、平和のエネルギーが乗っているのでしょうか?

○それは、会員の皆様が長年にわたり、この祈りの本質・真髄である“光の響き”を祈りを通してこの言葉に乗せ、そこに“神聖な響き”と“真理の響き”を乗せ続けてくださったからこそ、この祈り言葉に初めて出会った方々に、その言葉の奥にある非常に深い歴史と神のエネルギーを感じさせ、それが心に受け止められて、受け止めた方々一人一人の意識に瞬時の変異を起こしているのです。

○そのように、この言葉が新しく繋がる人々の中の神聖と瞬時に繋がることによって、この言葉が大切に受け止められているのだなということを、このメッセージを受け止めてくださる方々のお姿を見て感じております。

○(1955年から始められた祈りによる世界平和運動の歴史を振り返って)また今のこの時代に私は、その背後にある白光真宏会という存在と、その背後にある会員の方々が常に(今も昔も)祈ってくださっておられることの大切さと深みを感じております。

○ですから、この『動画による祈りの会』もずっと続けておりますが、こうやって皆様方は、日常の中でこの祈りを大切に祈ってくださっています。

○それと同時に、こうやって月に一回か二回、動画による祈りの会で皆様と繋がって『世界各国のお祈り』をするときに、会員の皆様が深く真理に繋がり、神聖に繋がり、この祈りを通して「世界人類が平和でありますように」という言葉に、本当に祈りのエネルギーを乗せてくださることに心から感謝を申し上げます。

○それとともに、いかに私たちの日々の祈りが重要であるか、その言葉が独り歩きしないためにも、いかに祈り続け、いかに光のエネルギーを乗せ続けてゆくことが大事であるかということを改めて感じました。

○今日もどうぞよろしくお願いいたします。

【里香先生】
○本当に今のお話は大切なお話だなと思いました。

○「May Peace Prevail On Earth」「世界人類が平和でありますように」という草の根運動としての幅に広げるという意味での“このメッセージ”は、快くは受け入れられるけれども、それだけで終わらないっていうのはやはり、白光の会員の皆様が「世界人類が平和でありますように」という“このメッセージ”の言葉となる以前のバイブレーション、『言(こと)の響き』というところをとても大切にしてくださっているからです。

○私たちは、この祈りがどれだけ奥深い響きを持っているかを知っています。

○そして「この祈りこそが我々である」という、それを体現した姿を表わしています。

○真妃先生は先ほど、皆様方は「この響きが私たちである」ということ、つまり、神聖や光を本当に長年、毎日毎日、日々の祈りの中で極めていってくださっているからこそ、この「世界人類が平和でありますように」というMPPOEIの草の根運動の活動を広めてゆくなかで、新しく出会う方々がその背後にあるこの高尚な響きを無意識の中で受け取ってくださっておられるということを、今お話ししてくれたと思うんです。

○今日はそういったお働きをさらに意識する意味で、五井先生の「こころ」という詩を朗読させていただきます。

○五井先生は、人類が“心”を探し求め、それを見つけるまでのストーリーを、歌の歌詞のなかに表現してくださいました。そして最終的には、心というのは「天と地を結ぶ働きである」、「肉体の器の働きである心と、天にある心がまっすぐに一つに繋がって働いているものなのだ」ということを書かれています。

○この心というものは、様々な意識領域にいろいろな心があるなかで、一番高い我々の直霊の部分、元々の光の部分を意識しながら、世界各国の平和で「アフガニスタン」から始まったときに、「アフガニスタン」という表面上の国ではなく、「アフガニスタン」という国に関係するすべての人々のいろいろな心の領域に、この世界平和の祈りの響きを乗せてゆく。

○さっき真妃先生がお話したように、私たちはただ祈るのではなく、その光の響き、高いところにある神界の響きを、そこの国への祈りに乗せてゆきます。

○今、日本でも様々な政治の動きが起きていますし、アメリカでも暗殺とかいろいろなことが起きていて、そのような大きな変化の時代にあるなかで、私たちが心のどこに『軸』を置いて生きてゆくのかが大切です。

○日本のことでいえば、「保守的に日本を守るぞ」というところに置くのか。

○それとも、国ができる前から連綿と続く大地、大自然、すべての命に意識を向けて、「私たちは自然そのものである」というところに意識を置いて祈るのか。

○そうした我々の心の持ち様によって、ずいぶん祈りも変化してゆきます。ですから今日は、五井先生のご著書を朗読させていただいた後に、静かな時間を共有して世界各国の国々に神聖の光を送ってゆきますので、どうぞ本日もよろしくお願いいたします。

【由佳先生】
○では最初に、世界平和の祈りをお祈りしてまいります。

《世界平和の祈り》

【由佳先生】
○ありがとうございました。では、里香先生、よろしくお願いいたします。

【里香先生】

○はい。皆様、ではよろしくお願いいたします。本日、朗読させていただく本は、『愛すること』という本の中の145ページの「生命と心について」という章の冒頭の部分を読ませていただきます。

○解説を含めて、中盤あたりに詩が入ってきますが、五井先生の心を感じ取りながら、「心というものはどこにあるんだろうか?」と、人類が探し求めている響きを感じ取りながら、ご自身の意識は一番高いところにある『本心』の心で聞いていただけたらと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

《五井先生のご著書の朗読》

【生命と心について】

心はどこにあるのか

人間にはわからないことがたくさんありますが、一番人間にとって大事である、生命というものと、心というものが、一体どんなものなのか、どこでどうしてできたのか、またどこからきて、どこへゆくものか、どういう状態で人間の中にあるのか、皆目わかっておりません。

 この一番大事な生命や心のことがよくわからずにいても、平気で生活してゆける人間というものは不思議なもので、こうした本筋の問題にはあまり力をそそがずに、眼前の現象的な利害関係の問題のほうに、その智慧能力を集中してしまっているのです。

 そういう本末顛倒した考え方が戦争になったり、公害問題になったりして、地球人類を追いこんでいってしまうのです。人間がこうして生きている、その根本をないがしろにして、枝葉の問題にばかり頭を向けているのですから、どうしても、根本の生命そのもの、心そのものの在り方と反対の方向に進んでいっても、無理からぬことです。

 生命の根本的在り方、心の根本的在り方についての知識がなければ、その場その場の利害得失を追いかけてゆくばかりで、どういう在り方が、生命意識の目的にふさわしい生き方なのか、心の欲っする道なのか、永遠につながる深いことがわかる筈もありません。

 人類の文明文化の発達にともなって、この地球の崩壊をもたらす公害というものが、世界中で問題になりはじめています。それは外面的に現われた現象ばかりではなく、人間精神の動きに現われてきまして、昔の人には考えられもしなかった、常軌を逸した行動をする人々が増加しているのであります。今こそ生命の根源を探り生命の本来の在り方と、心というものの在り方を、はっきり認識しなければならない時になっているのです。

 生命というものが、肉体にだけ宿っていて、肉体が消滅したらなくなってしまうもの、という考え方、そして、心というものも、やはり肉体だけに附属しているもの、という考え方、これが近代の人間観ですが、これでは人類の進化はゆきづまって滅亡の方向に向ってゆくより仕方がありません。

 個人個人に永遠の生命があり、永遠の心がある、ということを忘れ果ててしまったところから、今日の人類の悲劇が起ってきているのです。なぜかと申しますと、五尺何寸という、小さく限定された人間として自分を考え、そういう人間の集りとしての社会や国家を考えているので、どうしても狭い浅い範囲での自己防衛をしてしまうのです。それが、まず、人間の不幸のはじまりなのです。ですから、人間の生命や人間の心の本来の在り方を認識してから、すべての生き方を定めてゆかなければ、人類はとうてい幸福にはなれないのです。そこで、心が一体どこにあるのか、ということを真剣に考えてゆかねばならぬのです。

 ここで私の書いた「こころ」という詩をとりあげてみます。

 

こころ

――〝ひびき〟より――

こころよこころよどこにいる

まことのこころよどこにいる

探し求めて幾転生

 

私はこころの在り場所を

はじめてしっかり知りました

 

こころは天にありました

いのちの中にありました

光の中にありました

私の中にありました

 

こころは私でありました

こころはいのちでありました

こころは光でありました

 

人と人とをまんまろく

天と地をまっすぐに

つなぐ光の波でした

 

なぜここで、この詩を掲載したかと申しますと、この詩は、心の在り方や状態をかなり適確に詠んでいるからなのであります。

 こころは天にありました。いのちの中にありました。光の中にありました。私の中にありました。確かに心というものはそういうものなのです。そして、人と人とをまんまろく、天と地とをまっすぐに、つなぐ光の波でもあるわけなのです。

 人間の本源の心というものを、ないがしろにしていて、どうして完全な人間をこの地球界にうつし出せるでしょう。すべてを心の本源にのっとって、そこを起点として、あらゆる生活、あらゆる活動をしてゆかねばならないのです。

【里香先生】
○五井先生のこの『こころ』の詩を読ませていただくと、表面上の自分の心というのは、日常生活の中で「あれは嫌い」「これは嫌い」「この人は嫌だ」「あの人は嫌だ」っていう心の動きがすべてだと思っていることが思い起こされます。

○しかし私たちが「世界人類が平和でありますように」と、自分の現れては消えてゆく想念の波をその祈り言葉の中に入れる行為をおこなってゆくと、日常生活の現われては消えてゆく心の姿が、本当にどんどんと高まってゆきます。

○そして、「心は天にありました」「それは本心でありました」「本心は常に自分の日常生活の現象面の心の動きを支えていました」「天と地を繋ぐ働きをしていました」という、“心の働きの尊さ”に気付かされます。

○由佳先生、真妃先生、心について感じられたことがあればお話しください。

【由佳先生】
○はい。里香先生がおっしゃってくださったようなことを私も感じています。

○私は最近、いつも『肉体の眼』と『神聖の眼』というふうに、自分自身の中で切り変えていますが、肉体の眼で日々目の前に起きている現象を見ますと、それらの現象に対してすごく心が悩んだり、悲しくなったり、辛くなったりします。

○また、そして戦争や災害などのニュースを見るたびに、「何かをしなければ」とか、「何かどうすればいいんだろうか」とか思ってしまう。

○そういうふうに肉体の心と肉体の眼で思ってしまう状況のなかで、ゆっくりと眼を閉じてゆくと、自分が見えている現象から意識が離れてゆきます。

○そうやって『目を閉じた瞬間に自分の意識と外の状況が意識の奥に入ってゆく』という切り替えをすごくやっています。

○その中で私が意識しているのは、「宇宙神の呼吸」というか、「大生命の息吹」に繋がってゆくということです。

○ただただ、そうやってゆくと、「肉体の眼」が閉じてゆくと同時に、「神聖の眼」が開いてゆくという感覚がすごくあるんですよね。

○「神聖の眼」で見てゆくと、全体を肉体の眼よりも大きく見てゆけるので、肉体の眼でいるときに、心が痛んだり、悲しんだり、現象に反応したりというように、即物的に反応している心も大きく見守ってゆくことが出来ます。

○その「神聖の眼」で見てまいりますと、初めてその肉体の心や肉体の眼ではない、さっき里香先生がおっしゃった「天にある神聖」「天の心」と一つになってゆく感覚に変わります。

○五井先生のほかの詩の中で、「あるのではなく、あるように見えているが「空なのだ」、「空だ」と断ち切って、それに把われなくなると、「空の奥」にある神仏の実体が「空の奧処」から現われてくる、本当のものが現われてくるっていう話があります。

○そこともすごく繋がってゆくと思うんですけど、「天の心」「神聖の眼」で観てゆくと、その心が天にあり、すべてが一つであり、神聖そのものであり、起きている現象もすべてそのままで完璧なのだと思える心に、自分自身が引き上げてもらえます。

○「空の奥」に神仏の実体がある。それを見れるのが「天の心」であり「神聖の眼」であり、白光真宏会ではその違いをしっかりと見せてくださり、教えてくださっている。

○私たちがそれを自分たちの意識の中で実践してゆくと、「本当にある心」と繋がってゆけて、そこから得られる安心感、「すべてが大丈夫なんだ」っていう心の安寧を得ることが出来ます。

○肉体の心や肉体の眼でいるときに起きてしまう反応や反射すらも、「神仏が実体として自分の中にあるから、すべて大丈夫なんだ」という境地があることを、今の『こころ』という詩で感じさせていただきました。

○私たちは、過去世からの習慣に流され、肉体の眼で見てしまうと、国があり、国境があり、分断があり、対立があり、というふうに思ってしまいます。

○しかし、私たちが人類に先駆けて神聖の眼で世界を観てゆけば、昌美先生がおっしゃるように国境も解けてゆくのです。

○それすらも「人類即神也」の宣言文に書かれているように、「神そのものに至るプロセスなのだ」と観て生きると、そういった不完全な様相にさえも神仏の実体を観ることができて、私たち自身が「天の心」と一つになってゆきます。

○そうした練習を日々の中で目を閉じながらおこなうのです。

○肉体の眼で「見る」ということを、「大生命の呼吸」を感じながら神聖の眼で「観る」に変え、違う次元で観てゆくと、そこで繋がってゆくものも変わってゆきます。

○それを私自身も実践の中で感じているなかで、今日も里香先生が選んでくださった『こころ』の詩を意識して、『本心』に戻ってゆきながら、皆様とお祈りできる喜びを、これからまた味わってゆきたいなと思いました。ありがとうございます。

【真妃先生】
○ありがとうございます。それでは皆様方と特別プログラムに入ってまいります。

○『特別プログラム』と申しましても、今までずっとやってきた『世界各国のお祈り(日本と世界のプレートへの祈り)』です。

○しかし今日は、五井先生のお言葉にあった『こころ』というものの実体である『本心』を意識しておこなってまいります。

○里香先生が最初におっしゃっていたように、この世界は、「分断が間違っていて、ワンネスが答えだ」と、断定できるものではありません。

○私たちは分断を通して、「分断があるのは、分断があるだけの意味がある」と知り、「私とあなたは違う」という存在の分断を通して、本当の私を知り、あなたを知ってゆくプロセスにあるのです。

○私たちの神聖の眼には、違いを通じて観えてくるものがあります。『違いの奥にある共通項』を見出すことが出来るのです。

○それは『神聖』であり、「本当の私とあなたは一つだった」と、存在を通して『生命の真実』や『神聖における世界の実体」というものに気付いてゆけるのです。

○そうした神聖の世界と肉体の世界を行き来できるのが私たちであり、昌美先生が「私たち一人一人に選択権がある」というのは、この『行き来する選択の自由』が私たちに与えられていることだと思っております。

○ですから、各国のお祈りをしながら、一つ一つ国としては分かれていますが、分かれている中にある美しさや多様性、分かれているからこそ生まれてきている様々な人類の『人類らしさ』みたいなものを愛(め)でながら、同時に、私たちが祈りを通して、「それぞれの存在は神聖そのものである」という『神聖の響き』を放ってゆく。

○その点において、すべての存在と一つに繋がってゆく。

○五井先生がおっしゃる「人と人とをまんまろく、天と地をまっすぐに繋ぐ光の波」――「この光の波というところに、皆様方と祈りを通して繋がり、その光の波を創ってゆくことによって、この分断の中に一体感を生み出し、その一体感の中に“すべては平和である”という神の世界がこの地球上に現われてくるのだ」と、そのようなイメージで今日のお祈りに入ってまいります。

○それでは皆様、よろしくお願い申し上げます。

《日本と世界のプレートへの祈り》

【由佳先生】
○ありがとうございました。最後に神聖復活の印を組んでまいります。

○改めまして今日は、千何百人の方々が本当に、『天にあった私の心』、その本来ある本心の心で繋がっていました。

○皆様が、純粋に愛そのもの、神々さまの響きそのものになって、その響きを祈りに込めて、一カ国一カ国に届けてゆくことができました。

○その時間が本当に幸せで、喜びにあふれ、天と地をまっすぐに繋ぐ光の波になっていました。

○このようなお働きをさせていただける喜び、それが一人じゃなくて本当にこうやって皆様と一緒に祈れる幸せを感じています。

○私たちは今日、本来の『こころ』がどこにあるのかを知って、日々の現象に惑わされることなく、純粋な天とまったく一つの心で祈る喜びを感じさせていただきました。

○改めて一番最後に、そのままの気持ちで、そしてすべての現象の奥に神仏の実体があるのだという、もうただただその確信をまた光の波として、神聖復活の印を皆様と組ませていただきます。

《神聖復活の印を一回》

【真妃先生】
○今日も動画による祈りの会にご参加いただきまして、まことにありがとうございました。

○私が思うのは、目の前で起きている様々な現象を、やはり消えてゆく姿と観てゆくことが大切だということです。

○消えてゆく姿を見るたびに、それを掴んで消えてゆく姿に力を与え、消えてゆく姿が延長する未来を作ってゆかない。

○「消えてゆく姿の奥にある神聖を見つめる眼をいかにして養い、その視座から見つめ続ける力を持てるか」というところが、神人の役割だと思っております。

○私たちは、「戦争が起きている。いろいろな環境の変化が起きている。だから、温暖化になって人類が破滅していき、動植物がなくなっていく」という、その延長線上で未来を作ってゆくのではありません。

○消えてゆく姿というのは、あくまでも「現われては消えてゆく姿」なのです。

○そうであるからこそ、その背後にある『神聖』、どの現象もどの人間もどの存在も、必ず『神聖のひとしずく』として、この地球上にやってきているのです。

○その点においては、表面の世界を通り過ぎてゆく『消えてゆく姿の現象』を通して、それらが「良い・悪い」ではなく、その背後にある『神聖の働き』と『神聖の姿』を信じられる私たちであり続けたいと思います。

○そのように信じることによって、それが引き出され、芽を出してゆくのです。

○人は、信じることを止めたときに、その姿としてあり続けます。

○しかし、表面の背後にある可能性、変化できる可能性、新しく創造できる可能性、病気を通して健康になってゆく可能性、失敗を通して成功に繋がる可能性、神聖の眼を通して、その可能性を観てゆく。

○私たちがその可能性を観察し続けられるのはなぜかと申しますと、「すべての存在の背後には“神聖のひとしずく”がある」という真理を知っているからです。

○その『神聖との繋がり』を持ち続けるのが祈りであり、日々の行ないです。

○今日も皆様方と、そのようなことを体感する時間になったことに感謝申し上げます。ありがとうございました。

《白光真宏会からのお知らせ》

《五井平和財団からの告知》

【真妃先生】
○今日も動画の祈りにご参加いただきまして、ありがとうございます。

【由佳先生、里香先生】
○ありがとうございます。

【真妃先生】
○皆様方が今日一日、皆様方の本当の心と繋がり、平安に過ごせる一日になることを心からお祈り申し上げております。

○またお目にかかれることを楽しみにしております。ありがとうございました。

以上