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251122-動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生

251122-動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生

【由佳先生】

○皆様、おはようございます。

【真妃先生・里香先生】

○おはようございます。

【由佳先生】

○11月22日の動画による祈りの会にご参加くださいまして誠にありがとうございます。

○11月22日は五井先生のお誕生日であり、この間、スタッフの方に教えてもらったんですけれども、今回の動画による祈りの会が100回目という節目の日で、この日を迎えられたことが本当にありがたく、心から感謝でいっぱいになっています。

○本当に100回続けられたこと、その節目の日が今日であることにすごくお導きを感じますし、ここまで続けてこれたのも、本当に会の皆様がこうやって一緒にお祈りしてくださっているおかげなので、まずそのご挨拶とさせていただきました。ありがとうございます。

【里香先生】

○ありがとうございます。それに引き続いて、11月22日お誕生日の日で、MPPOEIのフミさんがアメリカでこの日を【グローバル・ピースポール・デイ】と決めて、毎年、アメリカ時間の11月22日にインターネットでお祝いのイベントを行なっておられます。(日本時間では明日、11月23日午前9時から)

○そのライブ中継のなかで、五井先生のお誕生日をお祝いしたり、ピースポールの役割や広がりをみんなにシェアするような時間を撮ってくださっています。

○こうやって、五井先生の真髄・響きがじわじわと世界に広まっていることがとても嬉しいことですし、こちら側としては、広めるだけではなく、五井先生がどの次元からこの祈りや真理を降ろしてくださったのかを、この場では、白光の場では、どんどん深めてゆきたいと思っております。

○今日も五井先生の講話の文章を皆様と朗読して、そしてそこからさらに、自分の人生に起きることであったり、世界の見方が変容するような文章を用意しておりますので、今日はそれをお聞きいただきたいなと思っております。本日もよろしくお願いいたします。

【真妃先生】

○本当に五井先生の誕生日の日に、こうやって動画のお祈りがたまたまできるということが嬉しい偶然だなって思っていて、フミさんとお話したときも、「今年、五井先生ご存命だと109歳を迎えられる」っていうことで、五井先生がご帰神されてからも、引き続きこの世界を平和にしてゆくという大きな天命の流れが途切れることなく、引き継がれ広がっているということは、すごく幸せなことですし、その広がりの中にこうして私達皆様方とご一緒にその後を引き継いで、その大切なこのバトンをまた次の世代に引き継いでゆくことができるその流れの一部に、自分達が存在できているということはとてもとても尊いことだなと思っております。

○これから本当に地球が大きな変容を迎えてゆく中で、見失ってはいけない軸というのは、本当にこの祈りの言葉に込められています。

○シンプルな祈りの言葉に込められてるこのメッセージ、「世界人類が平和でありますように」は、世界がどんなに変容していっても、その時代に合わせて世界が平和になるために必要な働きをしながら、それぞれの時代をを生きる人類の進化を促してゆきます。

○そこを本当に見失わずに、皆様と変わりつつ(進化しつつ)世界を眺めながら、このメッセージをどの時代になっても大切にしてもらえたら、本当に五井先生も天界からお喜びになって見守っていてくださっているし、たくさんの神々様が私達の想いを支え続けてくださるだろうなというふうに思います。

○今日も、本当に皆様方と繋がり合い、この祈りを多くの人達に発信してゆけたらいいなと思っております。今日もどうぞよろしくお願いいたします。

○それでは、世界平和のお祈りを皆様方と一緒にお祈りしたいと思います。よろしくお願いいたします。

《世界平和の祈り》

○ありがとうございました。それでは特別プログラムに入ってまいりたいと思います。里香先生お願いいたします。

【里香先生】

○はい。改めまして、どうぞよろしくお願いいたします。

○本日は、「五井先生の講話集」といっても、もう絶版になっている本があるんですけれども、そこに過去に五井先生がいろいろな場所で講話された記録を本にしたものですけども、そこからちょっと抜粋して朗読をさせていただきます。

○ご本として手元にその言葉を自分自身でも読んでみたいと思う方もおられると思うんですけれども、ちょっとそれは残念なことに、できなくて、でもしっかりとここでゆっくり読んでまいりますので、どうぞお聞きいただければと思います。

○今日お読みするのは、私がちょっと前、数年前に読んだ時に、理解ができなかった部分が、最近ふと「五井先生、こういうことをおっしゃってるのかな」って、つかむまではいかないんですけども、なんかフワッと五井先生がおっしゃる意味がスッと入ってきたということもありまして、この部分を皆様と深めてゆけたらなと思って、今日は選ばせていただきました。ではちょっと読んでまいりますね。

《五井先生の書の朗読》

人間は本当に自分一人きりしかないんですよ。肉の目で見ると確かに大勢いるように見えるけれどもね。

私なんかのように、真理がわかった人の眼で見れば、実際にも、肉体世界でも神の世界でも存在しているのは、この自分が宇宙にただ一人いるのであって、本当にこの自分一人だけしかいないということなんですよ。

私の別名は「空独尊五井昌久如来」っていうんですが、要するに、この自分だけしかいない。この自分だけしかいないとわからないとね。

この私の場合には、正真正銘、それがわかっているんですよ。

そうすると、自分の前に周囲に現われているものは、良いと見えるものであっても悪いと思えるものであっても、どんな人や物事や出来事であっても、全部自分の姿だということになってくるんです。

ですから、目の前に展開している一切の出来事や人の姿というのは、自分の想いの姿が外の世界に映っている、というんだね。

このような、悟った人だけが理解し、実行できることを、普通一般の人が聞いて、右から左に実行しようたって、ものすごい無理が出てきてやりこなせるもんじゃない。

だから、話を聞いて帰りに知識としては知っていても、直接自分にとって嫌なことや都合の悪いことでもあると「気に障って我慢がならない」という場合なんかに、そうした気持ちに目をつぶったのでは駄目なんだし、その都度その都度、自分を責めるようになったのではせっかく聞いた真理の話が仇になるというんです。

それよりも何よりも肝心なことというのは、ガタガタとクヨクヨと騒いだりなんかしていないで、「これは自分の魂に付いている垢だったんだ」と、一度ならず勇気を出して、潔く汚れを認めてしまった上で、あとは黙って静かにさっさと洗えばいいだけでしょう。

どうであれ、自分の気持ちが面白くないというのはね、あくまでも根本は自分の問題なのだということです。

つまりは、この自分の責任そのものなんだからね。「誰にどこに文句を言ったって始まらない」というんだね。今更誰に責任を転嫁しようったって意味がないんだもの。

この自分にとって一見不都合に見える姿というのは、自分の責任として現われてくるんだということで、だから本当は、全部自分で始末しなきゃいけないんだけれども、そうは言っても、自分の力だけでは始末ができませんでしょ。

そこで、この小生命である自分を生んでくださった命の親である守護霊・守護神のみ心に素直になって「どうか一つお願いします」と任せてしまうのです。

すると、「お前さんだけでは無理に決まっているんだから、さあ私の方でちゃんとやってあげるよ」っていうんでね、神様の方で汚れを根こそぎ綺麗に洗ってくれるわけです。

そういうのを「祈りごころ」とか、「おまかせの祈りごころ」とか、「おまかせの心」とも言うんです。

【里香先生】

○大変に厳しいというか、一見厳しいような真理すべて、自分の目の前に現われてくるものは自分の責任だということ。

○そうすると、ついその真理というのは自分を責めてしまったりとかっていうふうに思いがちなんですけれども、五井先生が「宇宙にこの自分一人なんだよ」っていうところなんですけれども、私、本当にその自分一人ってことがわからなかったんです。

○それは、自分っていうものが、「この個性の肉体の自分」って思ったときに、いろんな人が周りにもたくさんいるし理解できないということになっていた。

○しかし、自分というものを「神のいのち」「神そのもの」って考えたときに、あるのは神しかいない。そして、他者を見ても世界を見ても神しかいない。

○そういう法則の上で、「消えてゆく姿や苦しい体験であったり、そういう働きも神の働きである、神そのものである」って思ったときに、自分一人しかいないっていうこの真理はそこに繋がるのではないかなって、フッと、フンワリと感じたんですね。

○なので、由佳先生と真妃先生からもどう思われたかを、一言ずつもらいたいと思います。由佳先生、どうですか。

【由佳先生】

○はい、ありがとうございました。

○里香先生の今のお話にちょっと繋がるのかなと思うんですけれども、「宇宙に自分一人しかいない」というこの文章を読ませていただいて、頭では理解できるけれども、これを自分の実生活の中でどう落とし込むんだろうっていうのが自分の中でも結構難しいなって思いながら、真剣に向き合いながら、見つめながら、読ませていただいていた、というのが正直なところで、その中で今自分自身が思ったのは、「呼吸法」でした。

○五井先生の違う本にも書いてあるんですけれども、「神との一体化」っていうことが里香先生の話ともすごく繋がるんですけれども、「“神との一体化に意識を戻してゆく”ということが、すべてを網羅してしまうというか、溶かしてしまうというか、神様のみ心は愛であり、すべては愛に戻ってゆくという、それしかないんだ、そこしかないんだ」っていうところに意識を戻してゆきたいっていうのが、私が思っていることです。

○それで、「これをどう自分の中の日々に体現するんだろう?」「どうやって日々の中でそれを思い出せるんだろう?」って思ったときに、今自分自身の中での一番パワフルな方法が呼吸法であり、「我即神也・成就・人類即神也」にすべての想いを戻してゆくことです。

○そこが一つであり、そこしかないというところを、呼吸という力で意識していくっていうのが、今里香先生にこの文章を読んでもらった後に、自分自身が実践しているからこそ、今日のメインプログラムのこの先にまた呼吸法というのをやらせていただけたらなと思っておりました。

○五井先生の引用なんですけど、「真の祈りは命の宣言である。祈りということは、自分の命を宣り出すこと、命の宣言ということなのです。“私の命は神と一つである。神の命なのである”という宣言が祈りなのです

○自分の肉体煩悩が祈るのではなく、宇宙神に向かって直霊・分霊が“私はあなたと一つです”と宣言するのが祈りなのです」っていう、こういうところが今の五井先生のお言葉と私の中ではすごく結びついて、これこそが日々の中に活かせる方法だなと思った次第でした。ありがとうございます。

【里香先生】

○真妃先生はいかがですか?

【真妃先生】

○私もこの朗読に耳を傾けながら、本当に心に残ったことは、「良いと見えるものであっても悪いと思えるものであっても、どんな人や物事や出来事であっても、全部が自分の姿ということになってくるんですから、目の前に展開している一切の出来事や人の姿というのは、自分の想いの姿が外の世界に映っているという意味での一人しかいないんだ」っていうところがすごく私の中ではしっくりときていて、いいことも悪いことも、「この人、素敵だな」って思う姿も、「この人、なんでこんなことをするんだろう」っていう怒りの想いとか批判したい想いとかも、全部それはその人ではなくて、自分が過去に作り出した想念が、その目の前のその人の姿を見て、自分がそれを投影して見ていて、そしてその姿に対して自分がどう対峙していくか、それも神の姿の一つの現われの姿なんだって赦してあげたり、赦すだけではなく、その奥に愛の姿、その人の行為の奥にある愛と繋がることで「愛しい」とまで思えたときに、自分の過去から現在における誤てる想念が本当に消えて光に変容されて、それこそ五井先生がおっしゃった「垢となって無くなってゆく」ことなのだろうなと思いました。

〇ですから、本当に自分の過去から現在における誤てる想念、それは何かっていうと、「自分は神とは違う。本当に自分と神は別の存在だ」というふうに切り離された考えで発してきた言動行為が全て、自分の消えてゆく姿となって残っていて、それが現われるときに目の前の人の姿の中に見えるわけだけれども、それをまた批判・非難したら、またそれは自分の消えてゆく姿となって未来に運ばれてゆく、未来に残ってゆくわけで、だからこそ現われて消えてくれたって、そこに把われなければ消えるし、どうしてもその人が憎い、その人が赦せないってなったときに、そこを赦さないとか、憎いっていう批判・非難を持つかぎりにおいては、自分は過去も未来も何も変わっていないってことですよね。

〇そこで目の前に現われたとき、消えてゆく姿が今消えるときなんだって、ここで赦せたり、その人のもっと奥にある本質と繋がって、大切に思えたり愛したり、「愛しい」と思ってあげたり、怒りの奥にあるのは、本当にその人が大切にしているものが大切にされなかったから怒りとして出ているんだって思って、「そういうことだよね。よしよし」って思えたときに、それはその人を「よしよし」と思ってるのではなくて、過去の自分のそのときには気づけなかった自分に対して愛を送っているわけです。

〇それができたときに、本当に自分はまた一次元、神聖な次元に上がることができる、成長することができるということで、「成長できたんだ」という自信が付きます。

○そして、成長したら何が起こるかというと、自分の神聖に対する理解だったりとか、神という存在に対するより深い理解がそこで行われることによって、また自分の前に広がる世界への理解が一段と視野が広がり深まり、それによってより多くのことを赦せて、愛せて、受け止められて、流すことができる。

〇つまりは、どんなことが起きても、感情想念の渦の中でうごめかず、本当に淡々と目の前に起きていることを見て感謝できる中庸の心、真ん中の自分、どんなときも神とまっすぐに繋がった自分でいられる不動心の自分というものに立ち返る。

○その繰り返しのなかで成長し、目の前に起きてくることに対して、本当にうごめかない自分を持てば持つほど、神の自分になってゆくということです。

〇だからこそ、その消えてゆく姿は、私達自身を試してくれてるわけですよね。こういうことが、こういう人が目の前に現われたときに「あなたはそのとき、どうやってそこと向き合いますか?」って。

〇「目の前に現われました」は過去の自分なので、過去の自分と思った方が赦しやすかったりするじゃないですか。

〇赦せて、愛せて、流せたときに、また自分が上がって、高まってゆき、高まることによって、同じような人が目の前に来たときに、今度は本当に何とも思わない自分、淡々と今を生きられる自分でいられることになる。

○赦せなかったり憎んだりする自分は、やはりそれは過去の自分、過去の体験がその感情を引き出すわけですから、「今」を生きてないわけですよ。「今ここ」を生きてない。

〇だから、感情想念で動いてるときって、怒りだったりしたら過去の自分の経験(記憶)から過去を引っ張り出して生きてるわけだし、不安とか恐怖とかも、起きてもいない未来を想像して引っ張ってきているので、それも結局、過去の自分の体験(記憶)をもとにして未来を引っ張ってくるので、今を生きてない、ということになるわけです。

〇私達は、本当に意識が中庸であるときに初めて、今この瞬間、自分のいのちをこの“今という瞬間”に謳歌できるわけで、その今という瞬間を神聖な自分の視点で存分に味わって体験するためには、本当に様々なことを淡々と、その出来事を大切に思って生きて、起きている出来事をかみしめて味わい感謝し、こういう体験をさせてもらえること、こういう方に今この瞬間出会ったことによって、いろいろな過去の消えてゆく姿が瞬時に消えてゆく機会を与えてもらえたことに目を向けたときに、それは本当に感謝に繋がってゆくだろうし、どうしても感謝に繋がらないときは「世界人類が平和になりますように」と世界平和の祈りと繋がることによって、目の前の存在が気にならない存在になってスーッと消えてゆくんじゃないかなと思っています。

〇今日は、五井先生の「この宇宙には自分は一人しかいないんだよ」っていうこの一言に込められた想いの背後にある深い真理と今日は繋がれたなと思っています。

〇皆様方も、皆様方の置かれている状況の中で、「この宇宙には自分一人しかいないんだ」って思って、目の前にいる人達は良いも悪いもなく、本当に自分の消えてゆく姿が垢となって消えてゆくときに、想いや現象となって現われて消えてゆくプロセスで、そのプロセスを体験するためにいてくれている尊い存在なんだっていうふうに、皆様方がそれぞれの置かれてる現状の中で、そういうふうに今置かれてる目の前の出来事や人を見つめることができたとき、本当に私達はまた高い意識で、良い悪いを超えた次元で出会い直すことができます。

〇それは神と一つに繋がっているという意識であり、「違いはない」「分断はない」って昌美先生がおっしゃったように、「この世に分断はないんだ」「分断は意識の上で生まれてるだけなんだ」っていうところに繋がってゆくかなというふうに思いました。

【里香先生】

〇本当に、消えてゆく姿が現われるときって、必ず他者が関わるじゃないですか。そこで自分ではない存在だと思うじゃないですか。でも他者がいるからこそ、そういう現象として現われて消えてゆくことができるっていう働きが起こるじゃないですか。

〇それがやっぱりすごい神様の働きであり、現われたものは消えてゆくっていう働きです。

○最後にね、昌美先生が今月11月10日号の白光誌の「日々の指針」でこんなことをおっしゃってるんですよ。

〇「すべては消えてゆく姿である。あなたが何をしたにせよ、その時のあなたは過去の因縁を消さなければいけなかった、そして消すためには必ず相手が必要だったのである。相手なくして自分の過去の消えてゆく姿が消えるはずがない。たとえ自分の言動によって相手が傷ついたのだとしても、相手の因縁の消えてゆく姿もそこにあったのである。あなたを通して相手の因縁が消えてゆこうとしていたのである。あなたが過去の自分を赦した時、相手もまた赦され、同時にあなたを通してこの世界に神聖が輝きわたるのである。」っていうね、もうタイムリーな「日々の指針」の言葉を今月の白光誌に残してくださっています。

○そういうことが、「宇宙に存在しているのは自分一人であり、その自分の責任として現われている」っていうことを自覚してゆくうえで、私達は「自分が」と力む形ではなく、守護の神霊に全託した心のなかで行なってゆけば、「すべては完璧である」というところに行き着くと思います。

【真妃先生】

〇本当に全てが完璧だっていうところに行き着くためには、他人のせいにしてたりとか、他人を批判、非難してたりとか、外に目が向いていたらそこには行き着けないけれども、ちょっとでも外に向けてる目を、「私が受け取る何かがあるのかもしれない」「私が変わる機会を与えてもらってるのかもしれない」ってちょっとでも思えたときに、「すべては完璧なんだ。完璧で欠けたるものはないんだ」っていうところへの気づきの種が与えられているのかなと思っています。

【由佳先生】

〇お二人のお話で改めて「宇宙には自分一人しかいないんだよ」っていうところの消えてゆく姿を含めた見方、意味っていうのを、お二人がすごく説明してくださっていると同時に、三人に共通しているのは、やはり神との一体化、そこに戻ってゆくことによって見えてくる「すべては自分であり、自分の過去の消えてゆく姿であり、人を通してそれを消してもらえているんだ」っていう、そこに集約されていくと思います。

○それをもとに、五井先生のこの文章をより深く自分の中に落とし込めてゆけるんじゃないかなと思ったので、ぜひその今のお話を自分自身の体で体験するためにも、「呼吸法」のところに行きたいと思いまして、今日はこの後、「呼吸法」をさせていただいてから自然感謝行をしてゆきたいと思います。

〇これは本来の今お話にあった「自分は本来一人」であり、でもそこには神と一つであり、メインプログラムのお祈りで皆様と一緒に体験してゆきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

○呼吸法を行なってゆきたいと思いますけれども、これは昌美先生が以前白光誌の『呼吸法の威力』っていうところから、また私自身抜粋させていただきます。

○「私達は、呼吸法によって宇宙根源の力を引き寄せ、宇宙生命力を使いこなしてゆく。この気が生命、命を生かす鍵なんだ」ということをお書きになられていて、「この本来の姿のまま、呼吸で宇宙神と肉体身は強く結ばれ、隙間なく絶え間なく交流しているんです」と書かれています。

○でも、私達が神聖を忘れ神聖を否定することによって、その大いなる呼吸というものの力、本来は宇宙神と肉体身を強く結ぶ、隙間なく絶え間なく交流している大元の呼吸というのが、ただの酸素と二酸化炭素の対処の働きに限定されてしまったと書かれています。

○でも呼吸法は宇宙の生命力、気、パワーを吸収する。呼吸法を行うときの思いというのは、宇宙神の神聖の賜物を吸い込むことだということをおっしゃられています。

○宇宙の無限なる生命エネルギーそのものを自らの体内に直接、しかも十分に入れ、神聖顕現が成就するということで、これから皆様といつもの吸いながら我即神也、大成就。吐きながら人類即神也を行なっていきたいと思います。

○もう一つ、昌美先生がおっしゃられていたことというのは、しっかりと息を吸うときに宇宙子を意識しながら宇宙子を取り組んでゆくんだっていう想いで、同時に昌美先生がおっしゃられていたのは、肉体の眼っていうのは物事の表面を見るための眼であるけれども、先ほどの消えてゆく姿とか真妃先生、里香先生のお話があったように、宇宙の眼で観てゆくと、見えない世界の大いなるものと繋がってゆく。

○呼吸法をする中で、宇宙の眼を開いてゆく。そして宇宙の真理を観てゆくっていう意識をすごく高めてゆきたいと思います。

○そのときに昌美先生がおっしゃられていたのは、「眼の奥、頭の後ろに意識を集中して呼吸をしてみてください。それによって宇宙と繋がり、宇宙を見渡す力を生み出してゆく」とおっしゃられていました。

○ついつい私達は、いつも結構体の前側を意識しやすいんですけど、自分の背中側、背後を意識しながら、その奥に大きな宇宙を感じながら呼吸をするというのを今回の呼吸法で意識していただけたらと思います。

○ではゆっくりと目を閉じていただき、まずは静かに息を吸って、止めて、吐く。吐きながらゆっくりと自分の体をリラックスしていきます。

○ご自身のタイミングで結構ですので、息をゆっくりと吸う。吸いながら宇宙生命力、宇宙根源の力を引き寄せ、宇宙子をしっかりと引き寄せてゆく。

○吐きながらゆっくりとまた宇宙子を宇宙神に返してゆく。戻してゆく。

○私達はこの呼吸を通して、宇宙神と肉体身が強く結ばれている。

○呼吸をしながら、「宇宙根源の力、宇宙子を私達はいただいているんだ。本当に私達は神と一体であり、神の愛によって生かされている存在なのだ」ということを、ただただ呼吸を意識していく中で感じていただきたいと思います。

○そして、宇宙神の宇宙子を自分自身の全身に運び、そしてまた吐きながら宇宙神に返してゆく。

○宇宙神の宇宙子によって宇宙神と肉体身がまったく一つである。すべてはここから生まれていて消えてゆくというところを意識してゆきます。

○では息を吐くところから始めます。息を吐きながら1、2、3、4、5では息を吸います。

《呼吸法の唱名を七回》

○目を閉じたまま、ご自身のいつもの呼吸にゆっくりと戻していただき、今この瞬間、宇宙神、宇宙子、そして自分の肉体身がまったく一つに隙間なく、本当に交流していたことを自分の体で全身で感じていてください。

○私達が呼吸しているということ、それそのものが宇宙神との交流であり、神様から生かされ神に愛されている自分であり、神とまったく一つであるというところにだけ集中して、引き続きリラックスして呼吸していてください。

○はい、ありがとうございました。

○では、これからこのまま自然感謝行を行なっていきたいんですけれども、改めて五井先生がおっしゃっています。「生命と生命が結びつき、宇宙神と直霊・分霊が結びつく。そして神の力がそのまま流れ出てくるのです。肉体を動かしている命と宇宙に充満している命との合体が祈りなのです。なので、平和の祈りが宇宙神と一体となり、地球を覆う迷いを光で消すのです。」と書かれています。

○ぜひ私達は今の呼吸法の響きのままの自然感謝行で、また本当にたくさんの感謝を宇宙神とまったく一つの心のままお祈りを捧げていきたいと思います。

○ではこれから自然感謝行を行なってゆきますので、皆様よろしくお願いいたします。地球感謝」行で私が「はい」と申し上げましたら、タイトルから一緒にお読みください。

《地球世界感謝行》

【真妃先生】

○皆様、ありがとうございました。それでは皆様、心を一つに神聖復活の印を1回組ませていただきたいと思います。

《神聖復活の印を一回》

【真妃先生】

○ありがとうございました。今日も動画のお祈りの会に皆様ご参加いただきましてありがとうございます。

○こうやって今日100回目。皆様と五井先生のお誕生日の日に100回目を一緒に迎えられて、ここまで重ねてこれたこと、本当に祈りと繋がる時間、真理と繋がる時間、自分自身と繋がる時間をこうやって定期的に皆様方と時間と空間を一緒にしながら積み重ねてこれて、ともにそれぞれの置かれてる場所で進化・創造を積み重ねてこれたことに心から感謝申し上げます。

○本当に何か最初に100回やりなさいって言われたらできないと思うけれども、丁寧に丁寧に、今与えられていること、目の前でできることを続けていくと、「振り返るとあっという間に」って言っていいぐらい、できないと思ってたことがあっという間にできてしまうなって思うし、自分一人ではできなくても、皆様と一緒だったらできるっていう仲間の存在と、あと高い理念を持ちながらも目の前のことを大切に進むことで、不可能と思われることも可能になっていくんだなっていうこともすごく感じた今日でした。ありがとうございました。

【由佳先生】

○本当に、同じく、スタッフがこうやって回数を数えていて、もう100回なんだってなったときに、コロナから始まった、コロナでもう富士聖地に皆様が来られなくなってしまったその理由として始まったこの「動画による祈りの会」が、コロナが明けてもまたこうやって続けさせていただける喜びを私も感じさせていただいています。

○本当に続ける幸せ、継続の力を感じさせていただいています。最初にもお伝えしたように、本当にこうやって一緒に毎回参加してくださる皆様のおかげで続けることができます。

○これからもよろしくお願いいたします。五井先生、お誕生日おめでとうございます。

《五井平和財団からのお知らせ》

○次回の動画の祈りの会は12月6日になります。動画の祈りの会もあと残すところ2回になりました。

○今年もあと2回で、動画の祈りの会は終了となります。その最後から2回目の会が12月6日となりますので、また皆様方ご参加いただければ嬉しいです。

○今日もご参加いただきまして、誠にありがとうございました。

以上