【日時】
2025年12月6日(土) 20:55 ~
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【当日のプログラム】
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2025年12月6日(土)夜_神聖で繋がり合う日
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251206_ 神聖で繋がり合う日に寄せて
【空の世界で繋がり合うために】
孤独 ~ 空の世界へ入るための必須の学び
現在・過去・未来を通した“いのちの行方”に想いを致すとき、私達がいのちの大元に向かうプロセスで人は誰もが、本来は孤独な存在であった事実を思い出すに至ります。
肉体人間が元々孤独な存在であるということは、「一人産まれ、一人生き、一人死す」という、魂の本質的な生き様を観ても明白です。誰かと一緒に誕生して来る人はありませんし、死ぬ瞬間もまた、逝くときは誰もが一人で逝きます。
また肉体を自分だと思って生きているかぎりは、誰とも心底からわかり合うことは出来ません。人間同士の意識には必ずどこかで齟齬があるものですし、誰かと四六時中一緒に生きていても、けっして一つの肉体を共有するまでには至りません。
そうした肉体側に立って観た孤独とは別に、我という意識を極めて生命の根源に回帰してゆくプロセスで、私達は宇宙神そのものの意識の実体に触れてゆくことになります。そこは、生命の本源にある大生命の意識領域です。
そこには宇宙神の意識だけが存在していて、宇宙神の中にすべてがあるという状態です。即ち、「すべては自分自身の投影である」という造物主の製造責任を伴う「すべては我なり」の意識があります。
私達が今成すべきことは、心の中の世界人類すべてに宇宙究極の光を照らして、神聖復活を拒絶するエゴのささやきを神愛をもって抱きしめ成仏させつつ、他の誰でもない”みずからの孤独”を極めてゆくことです。
そうすることで私達は、「自分の孤独なこの様は、宇宙神の存在原理を映し出していたのだ」という真実を想い識るに至ります。
2002年6月に昌美先生は、インフィニットワーズの詩『孤独こそ人生最高の贈り物』のなかで次の内容を示唆してくださいました。
◎人間は孤独の側面を持つが故にみずからの内面をさらけ出し、自身を正直に見つめることが出来る
◎多くの友、親しき人、愛する家族に囲まれ、賑やか且つ幸せに振る舞おうとも、人間は根源においては孤独である
◎人間の原点、それは「一人残らず孤独である」ということ
◎孤独を感じられぬ人は孤独を避けているか、恐れているか、気を紛らわせているだけだ
◎孤独にある者は胸を張り、堂々と生きよ
◎今孤独に置かれているのは、みずからの真実を見つめるためである
◎また、みずからの神性と対面するためである
◎その事実を恐れるなかれ、気に病むなかれ、隠すなかれ、何も責めるなかれ
◎真理にまみえるため、真理を体験するため、真理の光と溶け合うため、真理とともに生きるための孤独である
◎あなたが今、孤独であるなら「千載一遇のチャンスが訪れた」と、堂々と歓喜して孤独を受け入れよ
◎その後にやって来るのは、光明のみ、神聖のみ、輝かしきことのみの意識境涯である
◎孤独こそがみずからの内なる神と対面するに至る人生最高の贈り物である
◎孤独に苦しむ者よ、孤独に喘ぐ者よ、孤独に苦しむ者よ、想念を転換し人生を転換せよ
◎人間は孤独を通してこそ、光と出会い、真理とまみえ、神を見ることが出来る
◎人類が求めてやまぬ永遠の生命は孤独の先にこそある
◎神人は孤独に打ち震える者を探し出し、荘厳な言葉、神聖な言葉を投げかけ、みずからの周囲に神人をつくり出せ
◎孤独は神人が通るべき一つの道である
◎今孤独にあるなら、永遠の真理はすぐそこにあるのだから、手を伸ばしみずからの手で掴め
◎そのような意味で、孤独は我即神也に至る歓喜に導かれるプロセスである
空即是色 ~ すべてを消えてゆく姿と観て手放し切った先の世界へ入り切るために
そして孤独は私達が、『我はただ空即是色天地に世界平和の祈り声充つ』の歌に表現された時空に至る必須のプロセスでもあるといえます。
「すべては消えてゆく姿である」と観てあらゆる想念を手放し、守護の神霊に明け渡し、「すべては空なり」と断ち切り続けてゆくその先に、世界平和の祈りの根源の波動が充ち満ちた空即是色の世界があります。
1962年3月に五井先生は、それに関連して次のようなお話をしてくださいました。
「私はこういう考えがある」「私はこういう性質だ」「私はこういう癖がある」、そんなものはどうでもいい。そんなものはなんにもなりゃあしない。
地球人類がそういう想念で生きてゆく以上は、今の世界がそのまま進んでゆく。そして、やがては戦争で終わりになる。
それではいけないから、神々や宇宙人が応援に来て、ここに本当(神聖)の世界が開ける第一歩を踏み出すのだ。
それにはやはり、「我はただ空即是色天地に世界平和の祈り声充つ」という歌の境地になることだ。「我というものは空(くう)なんだ」「空にならなければ本当の自分、神様のみ心の自分、自分の実体(本心・本体)が出てこないんだ」ということをハッキリ認識しなければ駄目ですよ。
私達の多くは今、神界の扉の前まで来ており、あと一歩で孤独の奥にある”空即是色の神聖なる意識領域”に入り切りになる段階にまで来ています。今この段階で私達が踏み行うことは、腹をくくって肉体人間としての想いをすべて脱ぎ去り、一糸まとわぬ神聖の心で生きることです。
12月6日(土)の夜は、改めて私達がおかれている孤独な立場を肯定し、心の世界、魂の世界、神聖の世界で繋がり合い、世界平和の祈り声が充ち満ちた神界に意識の視座をおいて、神々や宇宙天使の皆様と共に、地球世界に宇宙神の光を送る日にいたします。
【当日のプログラム】
【始めの話】
行天 : 皆様、こんばんは。土曜日夜の『神聖で繋がり合う日』のプログラムを始めます。
本日は、案内メールにありましたように、私達が孤独の奥にある空即是色の世界で繋がり合うために、すべてを消えてゆく姿と観て、世界平和の祈りが充ち満ちた世界で響き合う時間にしてまいります。
私たち人類はご存じのとおり、直霊をとおして宇宙神のいのちの光を分け与えられ、存在している”宇宙神の光の子ども達”です。
そして、宇宙神の存在原理を映し出して形成されている私達の意識の中には、宇宙神ご自身がそうであるように、心の中に見る者と見られる者とが同時存在していて、現在の私達は、そのどちらの意識も自由に行き来して、使いこなすことが出来るようになりつつあります。
その両者は、内部神性と表面意識ともいえますし、高次元意識と三界意識ともいえますし、守護霊・守護神・神体・直霊の側と肉体・幽体・霊体の側とに分けて観ることもできます。
そのように、私達がみずからの意識神化を促進してゆきますと、高次の意識と表層意識とが、心の中で共存している段階を通ることになります。
そして、その段階で私達が得る気付きは、「運命は我が想念が創っていたが故に、すべてが自己責任であり、他者にも環境にも、国にも世界にも、自己以外のすべてに何ら一切の責任は無かった」という気付きでした。
またそのもう少し先には、「宇宙神と一つに結ばれている私を犯すものは一切何もない」と体感し、心底からその確信を極める段階がありました。
『祈りの言霊』の中のこの冒頭の言葉は、これまで何度も唱えてきましたが、過去にはなかなかそうは思えない頑なな想いの拒絶反応・自己限定・自己否定があったのも事実でした。
しかし 2020 年代に入って以降の私達は、ついに魂の目覚めの時に至り、すべての把われを手放す段階に入りました。
それは、すべての思い込み・こだわり・決め付け・執着・独善などを、腹をくくっていさぎよく手放し、解き放つ段階に至った、と言い換えることも出来ます。
そこへ至ってみたところ、ようやく“私達ひとりひとりの根源のテーマ”として目の前にハッキリと啓示された気付きは、「我あるが故にすべてあり」の気付きであり、「我は宇宙なり」の啓示であり、「この宇宙に在るのは自分一人である」という、生命のもっとも奥にある真理でした。
こうした真理のお話はすでに、宇宙子科学が始まった 1962 年の段階で開示されていましたが、すべての人がみずからの意識とするにはまだ早く、昭和の頃は「そんなものなのかな」と遠くに感じるお話でした。
しかし、 21 世紀を四半世紀も過ごしてきた今の私達は、「良いと見えるものも悪いと思えるものも、どんな人や物事や出来事も、すべてが自分の姿なのだから、目の前に展開している一切の出来事や人々の姿は、みずからの想いの姿が外の世界に映って感じているという意味での自分事なのだ」「すべては自己責任なんだ」「宇宙には自分一人しかいないのだ」という、究極の真理をみずからの意識として生きる段階に足を踏み入れるに至りました。
今の私達は、昭和の時代にはごく一部の人しか到達し得なかったこの自分事の真理を、みずからの魂の奥で十二分に発酵させる年月をいただいたことで、この究極の真理をみずからのいのちの光として発光出来るまでになり、今ではこうした究極の真理を、みずからの体験談として紐解ける方が増えてきました。
私達がここに至ることが出来たのは、宇宙神御自らのお導きの賜であり、先輩法友神の皆様の道開きのお蔭であり、救世の大光明の神々や宇宙天使の方々のサポートのお蔭であり、また守護の神霊や周囲の方々のお導きやお祈りのお蔭であり、そして何よりも日頃から孤独を肯定的にとらえ、コツコツと消えてゆく姿で世界平和の祈りを真剣に行ないながら、宇宙神より与えられた各種の印を組みつづけ、マンダラを書き、地球世界に感謝しつづけ、人類の神聖のみを信じ認めつづけてきた私達自身の取り組みの賜でもあります。
本日は、五井先生が私達に、世界平和の祈りをどのような意識で祈ってほしいと思われておられるのかを改めて再確認しながら、宇宙神と一つ心になり、宇宙神の側の意識となり、人類の心に広く、強く、世界平和の祈りの光を鳴り響かせる時間にしてまいりますので、よろしくお願いいたします。
それでは時間になりましたので、世界平和の祈りを日本語と英語で行なってまいります。
1. 世界平和の祈り
渡久地 : それでは始めます。はい。
世界人類が平和でありますように。
日本が平和でありますように。
私達の天命が完うされますように。
守護霊様、ありがとうございます。守護神様、ありがとうございます。
May peace prevail on Earth.
May peace be in our homes and countries.
May our missions be accomplished.
We thank you, Guardian Deities and Guardian Spirits.
ありがとうございます。
2. 「我あるが故にすべてあり」の意識を再確認する時間
行天 : はい、ありがとうございました。次は、五井先生のお話をとおして、「人間の意識の究極は宇宙神そのものであり、それ以外の何ものでもない」という究極の真理を振り返り、私達自身の意識として再確認してまいります。
始めに、『魂が大きく開く時』というご著書の『自分一人あるのみ』という中見出しの文章がある93ページから95ページまでを読ませていただきます。皆様は楽にしてお聞きください。
あの世というのは、有って無く、無くてある。この世というのも、有って無く、無くてある。本当のものではない。本当に在るものは、宇宙神只一つなのですよ。宇宙神という光が只一つあるだけです。唯一絶対、其れだけしかないのです。その絶対の光の分かれがここに来ているだけであって、実在するものは宇宙神なのです。
逆に言いかえますと、宇宙神から分かれて自分がここにいますね。そうすると自分の他に人がいるわけではないのです。みなさんがこうやっているけれども、実はそれは自分が見ているのであって、自分がいなければ無い。この自分の目だって手でふさげば見えやしない。眠っていれば何もわかりはしないと同じように、自分がいなければ何も無い。我あるが故にみんながあるのでしょ。そうすると、この世の中であるものは自分だけなんです。
自分只一人がある。宇宙神の中の自分が一人あるだけなのです。いいですか。ですからいいことも悪いことも、誰の責任でもなく自分の責任なのです。だから自分が偉くなるより仕方がない。
自分の心を正しく、神のひびきと一つにすれば、自分の前に現われてくるものは、すべて神のみ心が現われてくる、みんな神の光明になって現われてくるわけです。
だから自分の前にどんな悪い人が出てこようとも、それは自分のものなのですよ。自分のひびきがそこに現われている。現われてきたことに文句を言うより、自分に文句を言ったほうがいいけれども、何にもならないから消えてゆく姿にして、世界平和の祈りの中に入れてしまいなさい。
私はあの人のためにしてやった、あの人にこんなことをしてやった、というけれども、そんなことはありゃしない。あの人もこの人もありゃしない。自分のために尽くしている。尽くしたことは自分にいいのです。憎めば自分が損なのです。
他に人があるわけじゃない。自分だけがあるんですよ。あの人のために尽くした、あの人のために祈った、なんて生意気なことを言うな、と私は言うのです。あの人のために尽くすも、あの人のために祈るもありゃしない。自分のためにやっている。自分が祈りそのものになればいい。
いちいち人と比べてみたりする人がありますが、比べる必要も何もありゃしない。自分が立派になること以外に何もないのです。そうするとこの世もあの世も無い。在るものは神一人。宇宙神の光があるだけということになるのです。
はい、ここまでです。このお話の冒頭で五井先生は、「この宇宙に本当に在るものは、宇宙神という光が只一つあるだけである。唯一絶対にそれだけしかない。その絶対なる光の分かれがここに来ているだけであって、実在するものは宇宙神の意識である」とお話しされています。
そのつぎに、「我あるが故にみんながある」として、「自分がいなければ何もない」「どんな人が目の前に現われてこようとも、その人に対して感じる想いは、みずからの内面を映し出して感じているに過ぎない」という意味のお話をされています。
これは大変に厳しい真理で、「この肉体こそが自分なんだ」と信じる習慣の想いの側に立てば、エゴさんがうずいて否定したくなるところでもあります。
ここで私達が腹をくくり、意を決してエゴさんとして現われては消えてゆこうとする感情想念に流されることなく、「ああ、これは消えてゆく姿だな。守護霊様がこうやって現わして消してくださろうとしてるんだな、ありがたいなあ。世界人類が平和でありますように。守護霊様・守護神様、ありがとうございます」と祈り切ることができれば、それだけ把われの想いを消していただけて、本心の自分に近づくことが出来ます。
次に、メールの文章でもご紹介した『魂が大きく開く時』の57ページから58ページを読ませていただきます。
「私はこういう考えがある」「私はこういう性質だ」「私はこういう癖がある」、そんなものはどうでもいい。そんなものはなんにもなりゃあしない。
地球人類がそういう想念で生きてゆく以上は、今の世界がそのまま進んでゆく。そして、やがては戦争で終わりになる。
それではいけないから、神々や宇宙人が応援に来て、ここに本当(神聖)の世界が開ける第一歩を踏み出すのだ。
それにはやはり、「我はただ空即是色天地に世界平和の祈り声充つ」という歌の境地になることだ。
「我というものは空(くう)なんだ」「空にならなければ本当の自分、神様のみ心の自分、自分の実体(本心・本体)が出てこないんだ」ということをハッキリ認識しなければ駄目ですよ。
はい、ここまでです。私達が「我はただ空即是色天地に世界平和の祈り声充つ」の歌の心境で生きるためには、肉体・幽体・霊体・守護霊・守護神・神体・直霊の、七つの心をすべていのちの大海原である宇宙神の響きの中に統合して、見られる側も見る側もみずからの意識として統合した宇宙の心をみずからの心として生きる必要があります。
次のプログラムでは、私達が「すべては自分である」という意識をもって世界平和の祈りを祈るために、とても参考になるお話を聞いて、その後に宇宙神の心で祈る実践をしてまいります。渡久地さん、よろしくお願いします。
3. 宇宙神の立場に立って世界平和の祈りを祈る練習の時間
渡久地 : はい、ありがとうございます。次は、宇宙神のみ心に帰り、宇宙神の立場、ありてあるものの創造責任者の立場に立って世界平和の祈りを祈る練習の時間にいたします。
はじめに、昔の白光誌に載っていた斎藤秀雄さんと五井先生のある日の会話をご紹介します。今からご紹介するお話は、その昔斎藤秀雄さんが昱修庵を尋ねた折りに、五井先生との間でやり取りされた内容になります。
五井先生: 「斎藤さん、この新聞の写真をよく見てご覧なさい。ここにベトナムの戦災孤児の収容所の写真が出てるでしょ。ガイコツのように痩せて、お腹だけが膨らんでいる子供たちの哀れな姿がたくさん載ってますね。斎藤さん、このベトナムの惨憺たる姿はすべてあなたの責任ですよね?」
斎藤さん: 「先生、私はベトナムに武器を売り込んだことはまったくありません。」
五井先生: 斎藤さん、ほら、この三面記事をご覧なさい。宝塚の資産家、中川家の遺産争いで、弟が兄を殺して自首したという記事が出ていますね。これもあなたの責任ですよね?」
斎藤さん: 「先生、私は中川家とは何の関係もありません。」
五井先生: 「斎藤さん、世界平和の祈りっていうのは、すべての世界を創造された大宇宙神のみ心から発しているものだ、ということはご存じですね?」
斎藤さん: 「はい、そのように先生から教えていただいております。」
五井先生: 「あなたが世界平和の祈りを祈る時には、肉体のあなたが祈るのでなく、守護神さん・守護霊さんが祈っているということもご存じですね?」
斎藤さん: 「はい、そのように思っております。」
五井先生: 「私のお弟子さん達の守護神さん・守護霊さんは誰でもみんな、あなた方がこの世に生まれてくる前から霊界にある”救世の大光明霊団“という、地球世界を救済する目的のもとに結成された大霊団に参加しているのです。
そうした関係があってあなた方は、”救世の大光明霊団の中心者”である私の所へ守護神さん・守護霊さんに連れられてきて、私のお弟子さんになっているのです。
この救世の大霊団は、神界にいらっしゃる大宇宙神のみ心を地球世界に実現するために結成されたものです。ですから、世界平和の祈りを祈るということは、その元の宇宙神の心の中心、大生命の中へ帰って祈ることです。それは、大宇宙を創造された責任者の心になって、宇宙全体をその立場から見直すことなのです。
世界平和の祈りの真髄は、祈る人が宇宙神のみ心の中に帰り、すべての責任者である宇宙神の心をもって再び地球へ帰り、地球を見直し、日本人であれば日本へ帰りその町々を、自分の家庭を、地球の責任者として見直すところにあるのです。
ですから、“地球上に起きたすべての出来事や、宇宙中に起きたすべての事柄は、私の責任なのだ”、という自覚を持つことが世界平和への道なんですよ。」
斎藤さん: 「先生、ありがとうございました。先生の教えてくださっている世界平和の祈りのスケールの大きさを初めてわからせていただきました。」
このお話は、 1982 年 1 月号の白光誌に載っていたお話ですが、五井先生が私達に「ここまで到達してほしい」と願われておられる“世界平和の祈りを祈るときの究極の意識”を、今こそ私達が身に修めて祈る時であると思い、このお話を紹介させていただいた次第です。
次に、今のお話を斎藤秀雄さんの体験ではなく、私達自身の体験として心に刻み込んで、宇宙神のみ心をみずからの心として、おのずから在る心で世界平和の祈りを祈る練習を行ないます。
わかりやすくするために、最初は肉体の立場から「世界人類が平和でありますように」と 7 回祈り、次に霊界・神界の立場から「世界人類は平和であります」と 7 回祈り、次に宇宙神の立場から「世界人類よ、平和であれ」と 7 回祈ります。
そのあとに、「世界人類が平和でありますように」という祈り言葉を 49 回繰り返しますが、そのときは、「人類すべての本質は神聖であるから、すべての人類は必ず本来の平和な心を思い出し、大調和した世界をこの星に築きあげることが出来るのだ!」という意識で、「世界人類は平和である」「世界人類は神聖である」という宇宙神のみ心の側から発する「世界人類が平和でありますように」の波動を響かせてまいりますので、よろしくお願いいたします。
(肉体人間の意識で)
世界人類が平和でありますように。 × 7回
(霊体・神体の意識で)
世界人類は平和であります。 × 7回
(宇宙神の意識で)
世界人類よ、平和であれ。 × 7回
(宇宙神の意識で)
世界人類は平和でありますように。 × 49回
(肉体人間の意識で)
守護霊様、守護神様、五井先生、ありがとうございます。
4. 神聖復活の印
渡久地 : はい、ありがとうございました。最後に、神聖復活の印を1回組んで、大自然と生きとし生けるものと人類すべてに、神聖の光を送り届けて、本日の祈りの会を終わりにいたします。それでは、始めます。
大自然と生きとし生けるものと人類に、宇宙神の光を送ります。
大自然と生きとし生けるものと人類に、宇宙神の光を送ります。
<神聖復活の印を一回>
<そのまま、14秒目を閉じて瞑想する>
以上