オープニング
【由佳先生】
皆様おはようございます。
【里香先生】
おはようございます。
本日も動画の祈りの会にご参加いただきまして、まことにありがとうございます。今日はたまたま2月14日のバレンタインデーということで、高校生の娘がおりますけれども、昨日の夜、いっぱいチョコレートを買ってきて、何かお友達とかに配るって言って、昨日夜遅くまでチョコレートを溶かしながら、誰かのことを思いながらつくっていましたけれども、やっぱりこういう日ってふだんよりもっと世界に愛が満ちていくような気がします。
ある時期、私はバレンタインがチョコレート売るための商業目的みたいで「ちょっと嫌だな」って思っていたんだけれども、でも今こうやって思うと、みんな何か誰かのことを思いながら愛を届けようってしてる。そういうエネルギーが何か満ち溢れている。
そういう日もあっていいのかなと思いながら今日も動画の祈りの会でこうやって皆様と愛と祈りを通して世界に届けてゆけることをありがたく思っております。
【由佳先生】
よろしくお願いします。もう言われなければ忘れてしまうっていう……、もう2月14日の存在すら気づいてないっていう状況ですけど、本当にバレンタインでもバレンタインじゃなくても、自分以外の人を想って、想い合って、愛を届けたり、(私達はいつもそうですけど)祈り合えることをすごく感謝しています。
一つだけご報告があります。この『動画による祈りの会』は、実は日本語を話せない方々も少人数ですがいらっしゃいます。一生懸命、海外から時間を合わせて、これがふだん唯一『白光』や『富士聖地』と繋がることができる時間だということで、「私達は、“日本語で話してること”や”次に何が行われるか”などがわからないにも関わらず参加している」っていう連絡を海外の方からいただきました。
その声を聞いたときに、別に今までみたいに、内容全部逐次通訳なんて全然求めてられていないんだけど、「せめて次に何が行われるか、1行でもいいから英語で説明してもらえると、自分たちはそれに合わせてやれます」というお声をいただきました。
そこでこれからは、「次に何を行なうか」という部分だけですが、英語を入れさせていただきます。
メインプログラムは今日もまた、里香先生が五井先生のお言葉を選んでくださっているので、それをみんなで受け取って、深めてゆけたらと思っております。じゃあ早速、もうプログラムに入っても大丈夫ですか?
【里香先生】
お願いいたします。
【由佳先生】
では今日は、最初に『人間と真実の生き方』を、日本語だけで奉唱して、その後に世界平和の祈りをお祈りしてゆきたいと思います。はじめに、『人間と真実の生き方』を奉唱します。
《人間と真実の生き方奉唱》
【由佳先生】
では世界平和の祈りをいたします
《世界平和の祈り》
【由佳先生】
ではメインプログラムのほう、里香先生、よろしくお願いいたします。
【里香先生】
はい、どうぞよろしくお願いいたします。今日はですね、2025年あたりから昌美先生がよく「日本が中心になる」「富士聖地から世界へと平和が発信されてゆく」って、よく皆様方にもお話しされているではないですか。
私も本当に「日本が中心になる」「富士聖地や日本がとても特別な働きがある」ってどういうことかなってずっとずっと考えていたわけです。
それは、日本の歴史なのか、日本人の血なのか、霊的な霊脈・霊系統なのか、文化なのかっていう、様々なことを考えながら、もちろんそれら全てというか、もうあらゆるものが複合的に重なった流れがあるのかなとも思いながらも、ふと今年に入ってからある方とお話してたときに、「日本をあらしめているのは日本語だ」っていうようなことをお話されたんですよね。
私はその方がそういうふうにおっしゃったときに「ハッ、日本語か」って思ったんです。日本語がやはり言霊・音霊、大元は言霊・音霊で、祈りもそうですけれども、この日本語という言葉が日本を日本たらしめている。日本語が日本の霊の働き、霊(ひ)の本(もと)の働きを担っているのかもしれないっていうふうに思いました。
ふだん私達は、日本語でこうやって話していますけれども、何気ない言葉であったり、そういう響きであったり「Arigatou」でも「Itadakimasu」でも、こういう一音一音に母音がシッカリと入った言葉というものが、日本人としての生き方や霊性の根底にある。そういう音の中に私達は元々入り込んでいるのかなって思ったときに、「そうかもしれない」と考えました。
そうしたらですね、五井先生の「不動の心」っていうご著書がありますけれども、このご著書の中に「言霊についてお話されている箇所」を見つけて、やはりそうなのかと思って納得したので、皆様方にも今日、この文章を共有させていただきます。
そして本を読んだ後に、「我即神也」の音霊を発声します。昔は印とともに、「ウー」という音霊を発しながら印を組んでいましたけれど、今日はこの音霊の部分だけ、「ウー」というその響きだけを、特別に時間を取ってこのバイブレーションを自分自身の全身に行き渡らせるような時間を取ってゆきます。
ですから、まずは五井先生のこの言霊についてのお話の部分を読ませていただき、そのあとに「我即神也」の発声をしてゆきたいと思います。
それでは「不動の心」111ページから読ませていただきます。
《五井先生のご著書の朗読》
五井昌久著『不動の心』より
音霊・柏手・光
太初(はじめ)に言(コトバ)あり、ああ神さまはコトバなんだ、アオウエイ、という五十音の言葉からなってる。コトバは何か、即ち光である、というわけです。五十種類の光があるわけなんですね。アの光、エの光、オの光、ウの光、イの光、とあります。みなさんはそうした光の一つの光線です。光が流れて来ている。光は即ち言葉である。そうして発声されたものを言霊というんです。この間、植芝先生がなさったのが言霊です。アオウエイーとやったでしょ。あれがお浄めになる。
私は初め、オームといってお浄めしていたことがあるんです。柏手をやらないで、おさすりみたいのことをやっていたことがあるんです。オーといって、ムウーで止めるんです。そういうお浄めをした。オーというとパっと相手の憑きものがとれちゃう。そうすると病気が治ったりする。それはとても派手ですよね。小さな家でオームなんていってたんじゃ、みんな気違いだ(笑)と思うでしょう。それでオームでなくなり、自然に柏手になって来たんです。
柏手というのは言霊と同じなんです。光なのです。光が流れて言霊となる。アといえばアの光が流れてくる。オといえばオの光が流れてくる。ウといえばウの光が流れてくる。オの働きの人、ウの働きの人、エの働きの人もあれば、イの働きの人もあるわけなんですね。アカサタナ・・・・・・という働きの人があるわけなんです。それは光だからね。自分が動く度に、歩くたびに光が流れてゆくわけなんです。それがわからないといけない。
人間は光なんですよ。右に動けば右に光が流れてくる。自分が動くところが光の流れなんです。だから自分が光を流して歩くわけなんです。光がうまく調和してゆくところに地上世界が出来るんです。それを光明燦然、大光明世界というんですよ。どんな宗教家でも光明といわない人はないです。光といわない人はない。みんな光なんです。霊というのは光のことをいうんです。それが五十音あって、うまく組み合わさってゆくと、地上天国が出来るんです。
地上天国が出来るのは、ただ、救って下さいくというんではだめなんです。自分が光にならなければならない。自分はアの働きであるかも知れない、オの働きであるかもしれない、イの働きであるかもしれない。そんなことはどうでもいいんです。自分を光り輝かすためにはどうしたらいいかというと、いつも自分の中で、あれはいけない、これはいけない、病気になりゃしないか、不幸になりゃしないか、という迷いの想い、業の想いをいっぺんなくさなければならない。それをいつもいっているんです。
なくすにはどうすればいいかというと、神さまの中に入っちゃうこと。ところが神さまは見えないから、どうしたらいいかといえば、神のみ心である世界平和の祈りをしなさい、という。世界平和の中に想いが入ってゆけば、自分が光になって来ますから、幸福になるというわけです。だから幸福になることは簡単なんです。そんなに努力はいらない。滝にあたって、水を浴びて、山に籠って、断食して、なんていうことはもういらない。今更間に合いません。私のような人が出て来たんだから、そして世界平和の祈りをしなさい、と神さまがいっているんだから、世界平和祈りさえすれば自分が光になってくるんです。業の想いがなくなってくる。業の想いさえなくせばいいんですよ。特別のことをすることはないんです。(中略)必ず神様のお役に立つに決まっている。
この世にナンノ何某(なにがし)として生まれた時でなく、なんの魂として生まれた時から、地上界が出来た時から、最後の地上天国というのは決まっているんです。神さまの経綸として決まっている。だから、自分はなんの魂であって、何に生まれ、何に生まれ、何に生まれ、何回目かしらないけれど、必ず神さまのお役に立つもんだと、こう思っていればいいんです。
今、皆さんが生きているのは最後かもしれません。もう生まれ替らない最後の人も大分あるわけです。最後には必ず天命を完うするんですよ。それは自分で完うするとか何んとかというんじゃなくて、神さまのみ心が完うさせるのです。自分でやろうと思うことはいけません。自分でやろうと思うのは我なんですよ。肉体のほうで勝手に思うんだから。ところが神さまのほうでは決めてあるんです。
大正五年十一月二十二日に私という者が生まれるということは、もう決まっているんです。それでこういう仕事をするのも決まっている。決まっているんだけど、決まるまでわからないんです。私はオギャーと生まれた時、天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)ってやらなかったんですよ(笑)先生がお生まれになった時、何か奇蹟があったでしょう、なんてきく人があるけれど、私は生まれた時、立って歩いた憶えもなく(笑)我は光なりといった憶えもないんですよ。なんにもない。親はそんなこと思っていなかったらしいですよ。貧乏そのもので稼ぐのに忙しくて(笑)あたり前に生まれて結構なんです。
イエスさんの誕生でも、あとから作ったかもしれない。お釈迦さまだって、腕の下から生まれたっていうんでしょ。そういうのは聖者というもの、自分の先生というものを偉く見せたいから、いろんな話が伝わるけれども、当り前に生まれて当り前に育った人が偉くならないと面白くない。
当り前の生まれ方をして、当り前に育って、当り前に生きながら、ただひたすら神さまの中に『神さま、どうかみ心のままになさしめ給え、どうかわが天命を完うせしめ給え、神さまの仕事のために私をお使い下さい』といのちを投げ出していさえすればいいんです。『神さまのために使って下さい、天命を完うせしめ給え』でも同じですよ。『わが天命を完うせしめ給え、神さま有難うございます』それだけの想いでもいいんです。なんでもかんでも、自分が生まれた意義をあらしめ給え、ということを祈りさえすればいい。
天命を完うするためには、貧乏になったほうがいい場合もあるんですよ。それで苦労して、いろんなことをおぼえて、それで天命を完うするかもしれない。或いは大病に大病を重ねて、その果てに、天命の道に入るかもしれない。そういうことはこちらではわからない。こちらのほうで、何年何月に何をして、何年何月に何になって、何年何月にどうする、なんてことをいったってしょうがない。そんなふうになりゃしない。だからつまらないことです。(後略)
今日はちょっと長めに読まていただいたんですけれども、文章の繋がり……、五井先生の言霊・音霊の働き……、これがすごく大事だっていうところから、我々の天命、やっぱり神様に全託して言葉を発する……、祈りを大事にするっていうことが、日々の生活において重要だと感じたので、それをお伝えしたくて、少し長めでしたがこの文章を読ませていただきました。由佳先生、何かございますか?
【由佳先生】
ありがとうございました。なんか里香先生に読み上げてもらって、何かポイントがいっぱいありすぎて、たくさんメモしながら聞かせてもらっていました。
今回聴いていて、自分の中にすごく残っているのは、「言霊であれ柏手であれ光であり、そこに流れている光が私達なんだ」っていうところがすごくやっぱり心に残りました。
「自分が動いたところが光の流れとなり、光が調和するところに地上天国が生まれる」っていう部分ですね。あとは「みんな神のお役に立っているんだよ」っていう部分。ここら辺が私のすごいキーワードになりました。
それで、そうした体験、ご自分が光だと感じたときだったり、光を流させていただいていると思う自分の出来事を皆様にも聴きたいと思いました。
私も実はね、里香先生と一緒だったんですけど、あるところを歩いているときに、自分の中からふと、「自分のこの肉体という器に神聖の息吹を宿したい」って思ったことがありました。神聖の息吹であったり、光の流れであったり。それで言ってたのが「世界人類が平和でありますように」って、本当に五井先生がおっしゃってくださったように、そこにすべての光が流れる感覚、それをただただ言いながら歩いていたときに、本当に感じさせてもらう体験をしたことがあります。
なので、五井先生が降ろしてくださったこの素晴らしい光そのものの祈り言葉を本当に祈っていれば、自分が光となり、光の流れがそこに起き、自分がいるだけでそこで神様のお役に立っているんだということ。それをすごく実感できたというか、自分の体験した瞬間と五井先生が今お話くださっていることが自分の中で一致するなと思いました。
なんかそういう感覚ってすごくいいな。皆様もきっと絶対こうやってずっと「世界平和の祈り」を祈られているから、自分の中でパッと思いつく、自分が光を流しているんだっていう体感であったり出来事であったり瞬間っていっぱいあるんだろうなって思います。
でも、同時に、本来だったらそのまま流れるこの光そのものをブロックするのも自分であり、自分の業である。自分を信じられない自分であるならば、本当にそのブロックを外して、純粋に神様と一つになった器でありたいなっていうのを感じさせてもらいました。
本当に、音霊も言霊もすごい勉強になって、それについてもっと語りたいけれど、一旦はここまでで終わります。はい、ありがとうございます。
【里香先生】
本当に、たくさんの五井先生のメッセージが入っていたなと思いました。なので、本日は五井先生がおっしゃった「言葉は神である。光なのである。振動なのである」「人格神みたいな神が実態としてあって、そこでコントロールしているわけではなく、音を発する言葉となって響きとなって光となってここに降りてくる」っていうことを思ったときに、特に日本語の50音っていうのは、ものすごく響きが高いということです。
今日は先ほど日本語の母音「A・O・U・E・I」の五井先生の働きの説明にもあったように、今日は皆様方と「我即神也の印」を組む際に発声する「ウー」「ウー」という音霊を、喉や口で発声するのではなく、しっかりと腹の丹田のところからエネルギーを発し、魂の内面から発声してゆくということをやってまいります。
もしかしたら、ご家族がそばにいるとか、環境によっては発声ができない方もおられると思うんです。なので、そういった場合は静かに聞いていただければいいかなと思うんですけれども、声を出さずにね。
でも、神が宿っている自分の腹の底からこのバイブレーションを放つ、内から外へ放ってゆくという意識を持って、「ウー」「ウー」という「我即神也」の音霊を5回やってまいります。では、どうぞよろしくお願いいたします。スライドをお願いしていいですか。何回かやっていれば、自然と奥からその響きが出てくると思うので、リラックスしながら発声してまいります。
《我即神也の音霊発声 5回》
ご自身の発声した響きを全身で感じて、少し静かな時間を持ちます。ありがとうございます。では、1回だけ「我即神也の印」を組んでまいります。
《我即神也の印1回》
【里香先生】
ありがとうございました。それでは由佳先生、『呼吸法による唱名』をお願いします。
【由佳先生】
では、今私達が発した音霊。それぞれの音霊から来る光を浴び続け、五井先生おっしゃるように柏手と全く同じなんだっていう光を今、全身に浴びた中で、改めて「我即神也・成就・人類即神也」と、改めてこの呼吸法を7回繰り返して、自分自身が本来光そのものであるんだと、光を流す。そして、それゆえに神のお役に立っているんだということを感じる時間を取ります。
《言霊の唱名7回》
では、普通の呼吸に戻っていただきます。「私達自身が、そして人類全てが、本当に神そのものであり、光そのものである」「私達は皆、神のお役に立っているのだ」ということを感じ、最後に「神聖復活の印」を1回、皆様と一緒に組んでまいります。
《神聖復活の印1回》
【由佳先生】
目を閉じたまま、神聖の光が本当に世界中各地いたるところの生きとし生けるものに送られていることをイメージしていてください。光が大調和している。はい、ありがとうございました。では終わる前にこちらからお知らせをちょっとさせていただいてよろしいですか。はい。ではお知らせをさせてください。
《神聖の光が行き渡っていることをイメージ》
【由佳先生】
・『私と世界が輝く日』のお知らせ
・『講師錬成会オンライン開催』のお知らせ
・『Webによる祈りの会』のお知らせ
・『3年未満の方向けの行事』のお知らせ
(※詳細については、白光誌や白光真宏会Webサイトでご確認ください)
《五井平和財団『会員総会』のお知らせ(ビデオ:真妃先生)》
クロージング
【由佳先生】
里香先生、今日はありがとうございました。終わる前に感想をお願いします。
【里香先生】
今日は、五井先生の言葉・言霊に関するお話を共有できてよかったと思います。私達はふだん、何か言葉を発するとき、メッセージを伝えるツールとして言葉を使っています。
その中で日本語という言語は、母音の響きの中に光がしっかりと宿っていて、言葉そのものが「光」になっているため、日常生活の中に神の振動・光がスーッと入り込んでいるということに改めて感謝したし、これからも大切に日本語を使ってゆこうと思いました。ありがとうございます。
【由佳先生】
はい、私も里香先生がやってくださった「我即神也」の発声のみの音霊を響かせたことが本当に心地よいと思いました。
その前の五井先生のお話、「アの光、オの光って、全部に光がある」っていうところとも繋がって、光が響き合っている感覚を静かにできたのがすごく幸せな時間でした。同じように思われた方々も多くいらっしゃるんじゃないかなと思います。
また、一番最初に里香先生が話された「日本を日本たらしめるのは、この言霊で音霊であり、その光を最大限に現わすよう、五井先生が柏手や言霊や世界平和の祈りで生み出してくださってるんだな」っていうのを感じる時間でした。
今日もどうもありがとうございました。そして皆様、素敵なバレンタインを。「2人からチョコを贈ってます」っていう気持ちでね、(手でハートの形をつくられ)送っています。ありがとうございました。
以上