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[Zoom祈りの会メルマガ: 000146] 2024年12月7日(土) 動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生

[Zoom祈りの会メルマガ: 000146] 2024年12月7日(土) 動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生

Zoom祈りの会メルマガをお読みの皆さまへ

いつもご参加くださりありがとうございます。
12月7日(土)の『動画による祈りの会』の書き起こしを送ります。


2024年12月7日(土) 動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生

【由佳先生】
○皆さま、12月7日の動画による祈りの会にご参加くださいまして、まことにありがとうございます。本日もよろしくお願いいたします。

【真妃先生】
○お願いいたします。皆さま、先週の土曜日、一週間前に、何度かこの動画の祈りの会でも告知させていただきました『五井平和財団フォーラム』を無事に開催させていただくことができました。

○当日は、全国各地からたくさんの会員の皆さまが会場に足を運んでくださいました。またその会場では、ボランティアの方々が献身的にご参加くださり、ゲストの方々を温かく迎え入れてくださっていました。

○参加された方々の感想をいろいろ聞かせていただいたんですけれども、とにかく【平和】を真ん中の軸に据えて、25年間、活動してきた五井平和財団の素晴らしさを称えてくださっておられたと同時に、迎えてくださるスタッフの皆さまの本当に愛ある姿が、五井平和財団が言っていることを、行動で示し体現されていることにすごく感動されていて、初めて来た方も、この会をとおして「平和な世界をすごく感じる」とおっしゃってくださいました。

○ボランティアの方々は、毎年来てくださっている方や、今年初めて来られた方など、様々な方々がおられましたが、皆さまが正しく五井先生がおっしゃっておられたような、「宗教を日常生活の中で表わし、光の存在として人と接しているお姿」を見せてくださっていました。

○そこにこそ宗教の価値があるというお姿を、本当に皆さま方おひとりおひとりの光り輝くお姿をとおして表わしてくださっておられ、それがたくさんの人たちに「真の平和のあり方」として伝わっていたことに対して、ここで皆さまに心からの感謝を申し上げます。

○また、数名の会員の方とお話する機会がありましたが、「『動画による祈りの会』で「来てください」とお願いをされていたから来ました」という方や、息子さんと一緒に来られたという方や、「何もわからなかったけど、来てほしいと言われたから来たよ」という方や、「もう、本当にありがとうございます」とおっしゃっておられる方などと、お出会いする機会がありました。

○何もわからなかったとおっしゃる方もおられましたが、私は、「わかる・わからない」ということよりも、本当に世界平和を願っている人たちがあの場に集い交流することや、言葉をとおしてお互いの世界平和へのいろいろなあり方を交流することや、それぞれの存在をとおしてエネルギーの交流をしてゆくことが大切であり、それによって平和への新しいエネルギーがそこに生まれ、道が開けてゆくことになるのではないかと思いました。

○そういうふうな目に見えない大きなお働きを、おひとりおひとりがなさってくださっていたのだなということを、家に帰る途中に感じておりました。

○私たちは平和の世界を創るということを、言葉やプロジェクト、活動などの形で行なうことも、もちろんすごく大切だと思います。五井先生が「祈っているだけでは駄目だよ」とおっしゃっておられましたが、「世界人類が平和でありますように」という祈り言葉やこの運動の背後には、大きな祈りの波動があり、私たちはその祈りの波動を心のなかでも、またこの世の形の世界でも、広めていく活動をしています。

○それが『五井平和財団』『白光真宏会』『May Peace Prevail On Earth International』を、それぞれ特徴づける在り方であると思いました。

○今日も皆さま方と動画による祈りの会に参加させていただきますが、今年も残すところ、あと二回になりました。本日も、動画のお祈りの会を開催させていただけることに、心から感謝いたします。今日もどうぞ、よろしくお願いいたします。

【由佳先生】
○私からも五井平和財団フォーラムの感想を一言、言わせていただきたいんですけど、真妃先生がおっしゃられるように、会場に入った瞬間に愛が溢れていたんです。

○それは、スタッフやボランティアの方々が美しく、心を込めてパンフレットやチケットのやり取りをされているその姿勢一つから、会場全体の響きが真の平和の在り方を体現されているというのが、私自身も印象的でした。

○あと、25周年ということで、先ほどの参加者の方の「わかる」「わからない」の話もありましたが、後半に、パネルディスカッションがありました。

○そこでは、来日された五井平和賞受賞者のニップンさんが、AIを活用したこれからの愛と優しさのお話をされ、同じく平和賞受賞者のハフサットさんは、厳しい政治的な背景がおありでありながらも、精力的に活動なさっているご様子の話や、女性の社会進出のお話をされ、資生堂会長の魚谷さんは、経済やビジネスの面から平和についてのいろいろなお話しをされておられました。

○ですからその日の内容は、わかりやすいというよりは、刺激をもらうようなパネルディスカッションだったのではないかと思いました。

○そのようななかで私自身、「わかる」と思えたことは、25周年でしたので、裕夫先生が最初に、改めて五井平和財団の理念や、生命憲章のお話をされたときに、25年前に作られた生命憲章が未来への架け橋のような骨組みとなっていて、その大元に皆さまの祈りや印が土台となっているということを、深く感じさせていただきました。

○その25年前には、骨組みと土台だけがあって、まだ未来は見えていませんでした。でもその骨組みと土台が未来への架け橋となって、そこに今度は、真妃先生が25年間の様々な五井平和賞受賞者の言葉を引用する形で私たちの歩みを振り返ってくださっていたときに、この25年間にご縁を結ばせていただいた素晴らしい世界中のリーダーたちの英知が、生命憲章という架け橋に肉付けをしてくださっていたのだと思いました。

○そうした世界中のリーダーたちが、祈りと印の光の土台と生命憲章という骨組みに、この世的な肉付けをしてくださった。それは、科学的な観点から、政治的な観点から、ビジネスの観点からというように、骨組みしかなかった五井平和財団が、25年をかけて美しい装飾はありませんが、頑丈な大きな橋となって、それは文字通り、未来への架け橋になっていて、初めて来られた方は、その場に来るだけで、そのキラキラと輝いた未来への橋を、安心してみんなとともに歩める状況をつくり出すまでになっていると思いました。

○そういう25年間の歴史を、裕夫先生や真妃先生のお話から感じました。また、その重みというか、平和世界構築へ向けた未来への深く熱い心が結集された五井平和財団のあり方に、見えないところで行なわれている祈りと印の光が詰まってるからこそ、すごい歴史を皆さまと作ってきたし、これからも作りつづけてゆくのだろうなというふうに思いました。はい、以上でございます。

○ここで改めて、ご参加くださった皆さま、そして25年間、お見守りくださった方々、お越しくだされなくても、そこに想いを寄せてくださり、祈りと印を組んでくださる皆さまのおかげで、ここまで五井グループをお支えくださっておられることに、深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

【真妃先生】
○今日の特別プログラムは、今年はもうあと残すところ1ヶ月というところもありまして、改めて『人間と真実の生き方』について、ゆっくりと考えてゆく時間にいたします。

○ですから、このあと皆さま方と世界平和の祈りをした後に、特別プログラムの『人間と真実の生き方』を深める時間を持たせていただき、最後に、印を組んで終わりにいたしますので、よろしくお願いいたします。

○それではお祈りに入ります。

<世界平和の祈り>

【真妃先生】
○ありがとうございました。それではここから特別プログラムに入ってまいります。今日は、先ほども申しましたが、まず最初に、人間と真実の生き方の奉唱を日本語と英語でしてまいります。それでは皆さま、ご一緒にどうぞよろしくお願いいたします。由佳先生、お願いいたします。

<人間と真実の生き方 – 日本語と英語>

【真妃先生】
○ありがとうございました。この短い『人間と真実の生き方』のなかに、本当にすべての深い真理が詰まっていて、この『人間と真実の生き方』を読むことによって、奉唱することによって、今の自分に何が必要なのか、自分の神聖を生きるために、どこに注力してゆけばよいのかということを、私はいつも教えていただいています。

○ですから今日は、『霊的存在としての人間』という五井先生のご著書の中の第2章、「人間はどのような存在なのか」ということを解説されている第2章の一番最初に、『人間と真実の生き方』について解説されている文章がありますので、本日は、66ページから92ページぐらいまでのなかで、抜粋して読ませていただきます。本当は、全部お読みしたいんですけれども、これを全部朗読しますと、ものすごい時間になってしまいますので、少しずつ抜粋しながら、五井先生がおっしゃる『人間と真実の生き方』についてのご意図を、皆さまと共有させていただきます。それでは読ませていただきます。

五井昌久著『霊的存在としての人間』からの抜粋(66ページから92ページ)

第二章【人間はどのような存在か】

 これから私どもの教義である人間と真実の生き方について解説していきたいと思います。まず最初の人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、常に守護霊・守護神によって、守られているものであるということから解いてまいりましょう。(後略)

 私は、人間は神の分霊であり、神の子であるけれども、分霊としての自分一人、肉体人間一人の存在として生きている限りは、この世において、神の子の姿を、はっきり現わすことはできない。(後略)

 守護霊、守護神とのつながりを無視して、人間神の子といっても、人間の性は善なり、といつても、それは極めて微弱なる善意であって、少しく業想念の波動がかかってくれば、すぐにもぐらついてしまう程のものなのです。

 宇宙神としての神は、絶対者であり、一なるものであります。この一なる大生命が、この地球界に、肉体的人間として生活してゆくためには、一なる大生命としてでは、到底生活してゆくわけにはゆきません。種々様々な変化を経て、分生命として、この地球界に、一人一人の人間として生まれてゆくわけなのです。(後略)

 宗教的には、神は唯一神であるとか、多神であるとか、意見が二つに分かれている向きもありますが、神は唯一神であって、多神でもあるわけで、人間は唯一神から生まれた多神の裔であるわけです。

 そこで次は、どうして神の裔である人間が善悪混淆の人間に成り下がってしまったのでしょうか、そういう説明から、教羲の解説をして参りましょう。(後略)

 私が宗教の道に足を踏み入れてみて、一番強く感じたことは、多くの人々が神に救いを求めながら、実際に安心立命している人、神の子としての真実の姿を出しきっている人が何人あるだろうか、ということでした。大方が自分の想いをごまかして、救われていると思おうとしたり、神の子だ、神の子だ、と自分に言いきかせては、その時々を過ごしているのですが、その人々の行為は神の子の姿を現わしきっているとはいぇないのです。(後略)

それでは、神の子の姿が真実に現われきるのには、一体どうしたらよいのであろうか、私は随分と考えつづけ、私の生命を捧げますから、どうぞこの問題を解決させて下さい、と祈ったものでした。

天国に至る門は狭く、滅びに至る道は広し、と聖書にもありますように、真実の救われの道、神の子の姿を現わしきる道は、なかなか厳しく狭いのです。それはどうしてかといいますと、この地球界は物質世界でありまして、粗い波動の世界、低い次元の世界であります。ところが、霊なる人間、直霊から分かれた分霊としての人間は、光明波動そのものでありまして、微妙な波動の自由自在に活動し得る存在者なのです。

この微妙な波動をもった高次元の存在者が、低次元の物質波動を身に纏って生活しなければならないのですから、その不自由さはおして知るべしです。

この不自由さの中で、霊なる人間は、次第に物質波動になれていってしまい、自己の本質から離れていってしまったのです。いわば、肉体波動、物質波動に同化していって、微妙な霊波動、自由自在なる心が、いつの間にか、低次元の波動に蔽われていったのであります。このギャップ、すき間、へだたりが業波動となって、今日までの人類世界を善悪混淆の世界としているわけなのです。(後略)

人間の過去世から今日に至るまでの誤てる想念、と教義にありますのは、このことでありまして、この業想念波動を超ぇて、真実の神の子人間をこの世においてもあの世においても現わし得るのは、先程から申しておりますように、真実の人間の在り方である、守護の神霊との完全なる一体化がなされなければ、到底駄目なのであります。(後略)

守護霊、守護神というのは、前から申しておりますように、自分自身の本質的な存在なのですから、切っても切れない仲なのでありますから、こちらがその方に少しでも想いを向ければ、向うからは光の波動を流しやすくなるのです。それを常に守護霊、守護神への感謝をしつづけているような態度で生活していれば、これはなおさらに守りやすくなり、神の子の姿を早く現わし得るようになるのです。

守護の神霊との一体化の姿が、真実の人間の姿なのですから、そういう心でいさえすれば神の子の姿が現われないではおかないものなのです。(後略)

人間の神性を断々固として認めきらないと、いつまでたっても、善悪混淆の人類世界の姿は消えないで、次第に善が悪にその光を奪われていってしまいかねない状態になってしまいます。(後略)

現代こそ、真実の光明思想というものが必要なのです。あらゆるものを、すべて善しと観る、強い神愛肯定の思想が必要なのです。(後略)

人間の神性だけ、神の完全性だけを肯定するためには、どうしても、その反対である業想念的想念行為を全否定しなければ、その思想には一貫したものが無くなります。

しかしながら、どう否定しようとしても、この世の悪や不幸や苦しみは否定しきれません。ここのところが、この世の宗教の盲点となるところであり、実在の世界そのままを、現象世界に写し出すことの出来難い所以なのです。(後略)

そこで私は、消えてゆく姿、という言葉を使って、一度、肉体人間そのものさえも、全否定しきっているのです。(後略)

何気ない言葉として消えてゆく姿を使い、あらゆる肉体世界の想念や出来事を、その消えてゆく姿という想いに乗せて、神の世界、神のみ心である、大光明の中、完全性の中に融合させてしまう方法をとったのです。

そして、この消えてゆく姿の想いを、世界平和の祈り、という全人類等しく念願する祈り言に託して、神の大光明の中に、すべての業想念を消し去る、という方法をとっているわけです。

こうしてゆきますと、(中略)自然に業生の世界、業想念の世界の波動を光明波動に切り代えてゆくことができて、いつの間にか光明一元の世界に進みゆくことになるのです。(後略)

【真妃先生】
○はい。このように、五井先生は『人間と真実の生き方』について解説してくださっております。これを読ませていただいて、いろいろなことが心に残るんですけれども、私たちは「消えてゆく姿が現れることが情けない」とか「恥ずかしい」と思う必要はありません。

○なぜなら、私たちの命の大元の波動はとても微細なもので、その大元の精妙な波動と、私たちが生きている肉体世界の波動にはギャップがあるからです。

○私たちがこの肉体世界を生きている中で、肉体を自分と考える視点だけで生きているかぎりにおいては、このギャップは埋められません。(※自分を有限な存在と認めているため)

○この肉体世界というのは有限の世界です。人間は生まれれば必ず死にます。また、命ある私たちは、この肉体の命を守ろうとして、遺伝子をとおして、次の世代に命を引き継いで生きています。

○私たちの意識が、そうした自己保存の本能として人間、動物の中(カテゴリー)に入って生きているかぎりは、私たちは自分を守ろうとします。この波動の粗い肉体波動を自分と思ってしまいますと、否でも応でも、自分と近しいもの、大切に思う何かを守ろうとしてしまうのです。

○人間がそうした肉体人間観を持っていると、そのためには、人を傷つけても殺してでも、自分や自分たちを守ろうとします。その守ろうとする想念が大きく集まれば戦争になります。また肉体の自分を守ろうとする想いが、この世の競争社会のなかに働けば、「誰かを蹴落としてでも、自分が上に昇ってゆくのだ」という考え方になっていってしまうのです。

○それはなぜかと申しますと、「精妙な波動の”神聖意識”」と「粗い波動である”肉体が自分だと信じる想い”」が融合していないからです。そうすると、粗い波動の「肉体としての自分を生き抜く」という本能の中で生きてしまうことになるからです。

○そうなることによって、いろいろな『消えてゆく姿』が消えずに残り、結果的に未来の自分の運命に、形を変えて表われてくるという悪循環を繰り返してしまうのです。

○ですから、私たちが出来ることは、五井先生が書いてくださっているように、消えてゆく姿、という言葉を使って、一度、肉体人間そのものさえも、全否定しきったうえで、世界平和の祈りを祈り、守護霊・守護神さまへの感謝の響きのなかに入りきった生き方をすることです。

○「どうしたら、粗い肉体波動を持っている私たちが、限りなく細かい神聖の波動と一体になれるだろうか?」と考えていたときに、この五井先生が降してくださった『消えてゆく姿で世界平和の祈り』や『守護霊・守護神への感謝』が思い浮かびます。

○守護霊さま・守護神さまに常に気持ちを向けて、感謝を捧げつづけることによって、こちら側から自分の肉体波動を精妙な神聖の想念波動に高めてゆくことが出来ます。

○そうしていますと、気が付いたら守護霊・守護神との一体化の姿が、私たちの日常生活のなかで、自然に表われてまいります。

○今回、私は五井先生が書いてくださったあの文章をとおして、そこに書かれていることを実行することをとおして、これからの私たちが相変わらずの消えてゆく姿の人生を送ることなく、本当に神聖なる在り方・姿で毎日を送ることができて、私たちが普通の日常生活を送りながらも、人類全体の波動圏を、神の世界が表われた神聖の次元にまで、どんどん高めてゆくことができるのだなというふうに、改めて深く理解することが出来ました。

○それは、難しいことではありません。常に常に、どんなことが表われても、「あいつが悪いんだ」とか、「自分が悪いんだ」というように、表われたことに対して、一つ一つ細かく原因を探ったり、自分や相手を責めたりするのではなく、表われたときに、「守護霊・守護神さま、ありがとうございます」と感謝し、世界平和の祈りを祈るだけです。

○それが表われたことによって、その表われたことに対して、どう向き合ってゆくかが大切です。

○自分を肉体人間として観て、粗い波動の恐怖や不安の想いを自ら引き起こし、その想いでつくり出した現実(実は幻想)から自分を守ってゆこうとするあり方で向き合ってゆくのか。

○それとも、自分の守護霊・守護神と一体になった意識で、神聖な姿の神人として、表われた現象に向き合ってゆくのか。

○そのどちらの生き方を選択するかによって、次に生まれる世界、未来がまったく変わるのです。

○ですから、「今、自分の周りの人たちに、神聖な人たちがどんどん表われて来ている」と思いながら生きている私たちは、実は、神聖な人たちが周りに表われて来ているのではなく、私たちが自分たちの日常生活のなかで、すべてに神聖を見る眼を養ってきていたり、すべての出来事に感謝する練習をしつづけてきたからこそ、自分の周りにいる人たちが神聖な存在だと思え、自然や生きとし生けるものにも神聖を見出し、感謝を捧げたくなるような存在が増えてゆくといった、好循環の状況になって来ているわけです。

○ですから、この世の中に置かれている私たちは、それぞれが最高の修行環境に置かれているといえます。

○この間、来日されたニップンたちとも話していたことですが、例えば、ご主人とか子供とかから厳しい言葉を浴びせられたときに、「こん畜生」と思うかもしれない。でも、その言葉を誰かに浴びせられる必要があるのだとしたら、知らない誰か、初めて会うような人にその言葉を言われるのと、自分のすごく大切だと思える人に言ってもらうのとどちらがいいか。

○どうせ体験しなければいけないのでしたら、自分と志しをともにする人と体験できたら最高だと思います。そこで、すべてに感謝する練習をしてゆけば、本当に私たちは神聖の存在に変わることができます。

○ですから、感謝に変えやすい状況に置いてもらっている私たちは、過去に自分たちが守護霊・守護神の神の波動と肉体波動のギャップで生み出してしまった『消えてゆく姿』を今経験する中で、「誰とそれを経験したらいいんだろう」と思ったときに、自分が信頼できる人との間で、自分が大切だと思える人との間で経験できたほうが、よりそれを乗り越えやすくなります。

○気心が知れた間柄のほうが、自分の中の愛の気持ちとか、神聖な気持ちを出しやすいと思います。

○そうやって、自分が置かれてる一つ一つの状況を見てゆくと、こんなに完璧な状況のなかで、自分の神聖を鍛えてゆくことができのは幸せなことだと思って、また感謝の循環に戻ることができるのだなというふうに思います。

○少し長くなりましたが、五井先生のお言葉をとおして, このようなことを感じさせていただきました。皆さま方お一人お一人におかれましても、いろいろなことを感じられていると思います。

○その感じられていることが正しいとか、間違いだとかいうことはありません。私たちが感じていることが、本当に守護霊さま・守護神さまからの愛あるメッセージですので、その感じられていることを大事に、心に留めておいていただければなと思っております。

○それでは、ここで由佳先生にバトンタッチして、由佳先生がどんなことを感じられたかを伺います。由佳先生、お願いいたします。

【由佳先生】
○真妃先生、ありがとうございました。私は、昔、五井先生がご説明されていた『神と人間』の内容を、太陽とその光線に分けてお話してくださった映像が、真妃先生が朗読されてる間に思い出されました。

○神さまを太陽とするなら、その太陽から様々な光線が地上に降り注いでいて、その光線一つ一つが私たちであるという話です。

○でも、その光線が地上に近づけば近づくほど、その光源である太陽の光が遠くなります。このたとえ話は、まさしく今、私たちが地上に生きていて、自分が本来太陽とまっすぐに繋がっている光線を持っているのに、それが見えなくなってしまっている状態です。

○それほどに、私たちは本質から離れていて、大元の太陽と繋がっていることも忘れてしまっていて、光線を元にたどって戻ってゆけば、大元の源、本質に戻れるのだと気が付けるのですけれど、「自分と神を繋げるその光線が見えなくなってしまった状態で、地上に生きるのは本当に苦しいことだな」と思いながら聞いていました。

○それは、自分が認める想いが、物質波動、低次元の波動(見えるもの)がすべてになってしまっている状態で、私たちはその中で、五井先生・昌美先生の教えがあるからこそ、「私たちは本来神である。神聖である」という真理を思い出すことが出来ました。

○私たちは、真理を知らずに地上で生きていると見えないその光線を知ることができ、光線の大元に一歩、また一歩と、日々歩んでいます。最終的には、その光線を生み出した大元の太陽の光とまったく一つになってゆくことができます。

○それは私たちが、「この肉体は本当の自分ではない」と思い出すことをとおして、肉体波動を神霊波動に還元したときに、本当に大元の太陽とまったく一つになれるということだと思います。

○この地上の波動圏にやって来て、この粗い響きの世界のなかで、私たちは常に光線の大元に一歩、また一歩と戻ってゆく日々を送っています。

○そうやって今、光線の大元へともに戻っている仲間がいるからこそ、真妃先生がさっきお話くださったように、歩んでゆくなかで、ふと横を見ると、同じように、同じレベルで光線を昇っている仲間たちが見えてきて、それは地上にあって、光線さえも忘れていた日々のなかに生きているのとはまったく違う波動です。

○ですから、みんなが美しい、若い、(縦にも横にも)一つになってゆく、そんなイメージが、お話を聞きながらどんどん私の中で湧いてきました。

○でも、やはり苦しみというのは、多かれ少なかれ誰しもあるもので、特に2024年は、いろいろな苦しみがあったと周りもよくおっしゃられてたり、自分の本来の本質、自分がどうあるべきなのかを迷ってる方々がいらっしゃって、私自身もときにすごく揺さぶられたり、悩むことがあった2024年だったなと思っています。

○そういうなかで、「苦しみとはなんぞや」で、「諦めては決していけない、諦めるということは、光線も忘れて、どっぷりと地上の肉体波動で生きてしまうこと。でも、私たちは知っている。そうではないということを」というところで、苦しみという概念も、神聖復活祭で五井先生の教えを皆さまとともに読みながら、寝ている間の工事現場で、電車のレールを直しつづけてくださっている工事夫の姿と、守護霊さま・守護神さまを重ね合わせていらっしゃいました。

○そこで、「苦しみを守護霊さま・守護神さまからの愛のメッセージだとしたならば、自分はその苦しみをどう受け止めるだろうか」と思い、「その現象のなかにたくさんの愛と導きがあるならば、自分はこれをどう受け取ったらいいのだろうか」というところに想いを致しますと、私は、守護霊さまとの一体感、守護霊さま・守護神さまとの一体化で、自分でこの肉体の現象と常識で苦しみを理解したり、受け止めたり拒否したり抵抗したりとか、そういう次元ではなく、命の大元と繋がる光線を一歩一歩、昇れば昇るほど、この世の苦しみの状況を愛のメッセージとして受け取れるくらいに、少しずつ地上の波動と離れた神聖の波動になってゆくと思います。

○そうしますと、現象も状況もメッセージも、守護霊さま・守護神さまの影なるお働きも、どんどんどんどんクリアに見えて来る、そういう道なのだろうなということが、真妃先生の五井先生の文章の朗読を聞きながら、今日私が思うことでした。はい、真妃先生、以上です。

【真妃先生】
○ありがとうございます。それでは由佳先生、このあと引き続き、世界平和の祈りをお願いします。

○改めまして、五井先生がお書きになった文章のなかで、本当に波動のギャップを埋めてゆくのは、守護霊・守護神への感謝と世界平和の祈りなのだということを、再確認しました。

○また、私たちが世界平和の祈りを祈ったときには、それは守護霊さま・守護神さま、大いなる神々さまと同じ願いを願うことによって、同じ波動に近づく、同じ波動に自分の波動を近づけてゆくことができて、一体化することができる。それによって、すべての消えてゆく姿が消えてゆくのだという、五井先生の文章を、改めて心に留めながら、また由佳先生と一緒に、世界平和の祈りをしてまいります。それではよろしくお願いいたします。

<世界平和の祈り>

【由佳先生】
○ありがとうございました。ではこれから最後に、皆さまとともに、神聖復活の印を七回組んでまいります。

○五井先生の『人間と真実の生き方』、それを本当に深く深く味わいながら、私たちの中にあるこの神聖、そして私たちが組む印をとおして、より多くの人たちがご自身の神聖の目覚めが促されるように、それを願いながら印を組んでまいりたいと思います。

○昌美先生は、私たちが組む一回の印は、私たちが地上を去った後も、ずっとずっと残り続け、働きつづけるのだということをおっしゃっておられましたが、本当に何と有り難いことか。

○今、私たちが肉体があるなかで組ませていただく神聖復活の印が、私たちが去った後も、その光が響きがこの地上を守り続ける。そう思うと、また改めて、皆さまとともに、時間を合わせて組ませていただくこの七回の印が、どれほど未来を変え、世界を変え、人類の目覚めを促してゆくのか、世代を超えてもなお、その働きをつづけてくださるんだということを、改めて自覚しながら今日は、皆さまとともに、七回、神聖復活の印を組んでまいりますので、よろしくお願いいたします。

<神聖復活の印 - 七回連続>

【由佳先生】
○はい、ありがとうございました。

【真妃先生】
○皆さま、今日もご参加いただきまして、まことにありがとうございます。いつもは、『動画による祈りの会』は、第2週と4週ですが、今月は年末ですので、12月に限っては、第1週目と第3週目に『動画による祈りの会』を開催させていただきます。

○次回は、12月21日の土曜日になります。その日が今年、最後の動画のお祈りの会になりますので、ぜひぜひ、またお時間がありましたら、ご参加いただければなと思っております。

○コロナがきっかけに始まったこの動画の会も、初めは動画の配信などしたことがないなかで、皆さんと力を合わせながら試行錯誤しつつ進めて来たなかで、3年4年とずっとつづけて来ることができたのは、一緒にお祈りを捧げる場をオンラインで作ってくださったおかげですし、何よりも毎回、こうやって会員の皆さま方が集まってくださっているお蔭で、こうやってつづけることができていると思っております。

○私たちも配信は初めてでしたが、多くの会員さんも動画に繋がってお祈りするなんてことは、思ってもいなかったと思います。そのように、コロナパンデミックは私たちに、いろいろな課題を投げかけてくれくれましたが、いろいろな不自由をとおして、様々なことに感謝できる機会にもなりました。

○コロナが発生して、多くの命を奪われてしまいましたが、それでも私たちは、コロナから受け取っているものがあるのだと思います。それは、どちらの視点に立つかということで、「あいつは悪いんだ」「こんな悪いんだ」という想いに立つのではありません。

○コロナという現象には、プラスもあるしマイナスもあるという、その両方を自分たちの中でキチンと見てゆくことが、どちらにも加担せずに、すごく神聖な、重要な視点で見つめる見方なのかなと思っています。

○また21日にお会いできることをすごく楽しみにしています。今日もご参加いただきまして、ありがとうございます。それでは、由佳先生、お願いします。

【由佳先生】
○はい。もう本当に師走…、2024年ももうあとわずかなんだと思っていて、ずっと皆さまにお伝えしていた2025年も、もう残り1ヶ月を切っています。

○12月21日の『動画による祈りの会』が、一つの集大成じゃないですけれども、真妃先生がおっしゃってくださったその歴史の中の、一つの幕がまた閉じて、また2025年の新たな素晴らしい飛躍を迎えるのだなというなかで、次回までもっともっと、神聖の眼を開いて、神聖の耳を開いて、きっとこれからどんどんどんどん、たくさんのシンクロじゃないですけれども、素晴らしいメッセージだったり、出会いだったり、気づきだったりというのが、すでに起きている方もいっぱいいらっしゃると思うんですけど、益々どんどんどんどん、私たちの周りからも起きてくると思っております。

○もっともっと平和な日本からの発信という種のようなものを、私たちがどんどん感じて実感して、そしてまた2025年を迎えていきたいなという気持ちになりましたので、これからまた残る1ヶ月、皆さまとともに、しっかりと神聖を意識しながら、神聖がどんどんどんどん目覚めている様子を、しっかりと見ていきたいなという気持ちにさせられました。

○本日も、本当にありがとうございました。

【真妃先生】
○ありがとうございました。良い1日をお送りください。ありがとうございます。