Zoom祈りの会メルマガをお読みの皆さまへ
いつもご参加くださりありがとうございます。
1月25日(土)の『動画による祈りの会』の書き起こしレポートを送ります。
250125_動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生
【由佳先生】
○皆様、おはようございます。1月25日、2025年、初めての動画による祈りの会にご参加くださいましてまことにありがとうございます。
○2025年の新年祝賀祭も無事終わり、皆様のお手元に指針が届き始めているのかなと思いながら、私自身も2025年という、本当に特別な一年…、令和7年ですし、白光真宏会創設から70年ということで、白光が始まって70年という節目に向かって、また昌美先生がずっと「2025年、25年から」っておっしゃられていたその今、ようやくこのど真ん中の時代を、皆様とともに迎えられた喜びと、そして、これから現われてくる神聖の時代にわくわくしております。いつもありがとうございます。
【真妃先生】
○皆様、おはようございます。由佳先生がおっしゃっていたように、70年間、この「世界人類が平和でありますように」という平和の祈りを中心に、こうした祈りのみを祈り続けてきたということを省みますと、そのような団体は世界を探してもどこにもない。
○世界平和のことだけを心の軸に置いて祈り続け、日常生活を送られている方々がこんなにもたくさん存在しているということは、これからの未来を築いてゆくうえで、多くの人たちの希望であると思います。
○世の中を見回しますと、五井先生が懸念されておられたような、自分の幸せ・自分の家・自分のご飯・自分の喜びのために生きている人たちがたくさんおられます。
○その中で、「世界人類が平和でありますように」ということを心の中の一番の願いとしながら、その祈りを軸にして日常生活を生きている人たちがどれぐらいいるだろうかと見渡しますと、私は、そのような人々は、白光真宏会に繋がってくださっている方々だけだと思っています。
○しかし、全人類がそういう生き方にシフトしてゆかない限り、五井先生が懸念されていたような「自分の幸せだけ」を追求してゆく世界が続けば、必ずどこかで「自分の幸せ」と「誰かの幸せ」がぶつかり合うときが来て、そこでどちらが勝った・負けたというように、白黒を付けて生き残ってゆかなければいけない社会が続いてゆくわけです。
○そういう生き方のままでは、この地球はもう存続できないということを、今多くの人々がわかり始めていて、「今までの自分たちの生き方、先祖代々教えてもらった考え方は、果たして本当に自分の幸せになるのだろうか」というふうに、疑問を持ち始めている人たちが出てきております。
○そういう人たちが見つけてくださるのが、そういう人たちが探し求め繋がってくださるのが、私たちが70年間祈り続けてきた「世界人類が平和でありますように」という祈りが中心となって行なわれている様々な運動です。
○今までは、例えば宗教法人が背後にあるその活動が波及されて行なわれてきた活動、例えばピースポールの活動であったり、五井平和財団の活動というものは、きちんと切り分けられて行なってゆくことがすごく大切なことだと思って活動してきましたが、最近私は、切り分けられることは大切だけれども、その一つ一つのやっている活動の背後にある深い祈りであったり、深い志であったり、背後に「世界人類が平和でありますように」という深い祈りと願いがある、そうした基盤のうえに築かれている私たちの活動が、信頼に繋がる社会がもうすぐやって来ると思っています。
○深い祈りや志というのは、「この団体が成功しますように」とか、「ピースポールがもっと数が増えますように」とか、「五井平和財団がもっと多くの人たちを巻き込めますように」というような、小さな願望ではありません。
○今までは、「この団体はどういう人たちと繋がっているか」、「この団体はどれぐらいの資金があるのか」、「どれぐらいのメンバーが集ってるのか」っていうことが、その団体の信頼性や評価に繋がっておりました。
○しかしこれからの時代は、そこに繋がった人たちの数やお金の多寡ではなく、その背後にどのような祈りや願いといった深みがあるかということこそが、その団体の信頼に繋がってゆくことになります。
○そう思ったときに、私たちが現在行なっている様々な活動は、70年間、祈り続けてきた土台のうえにあるものだという背景を知ってもらうことによって、それぞれの団体への信頼度、白光真宏会の信頼度がより高まってゆく。
◯白光真宏会は、個人の幸せのためにある存在ではなくて、世界の平和、宇宙の平和、すべての生きとし生けるものの平和と幸せのために存在している団体なのだということが、大きな信頼に繋がっていて、「そういう団体に私も身を置きたい」と思う人たちが増えてゆくと思うのです。
○なぜ身を置きたいと思われるかと申しますと、自分を生命本来の軸に戻してくれるからです。
○社会の中で生きておりますと、「もっともっと広げたい」「もっともっとお金を儲けたい」「もっと、もっと、もっと、もっと…」となりがちですが、その「もっと、もっと、もっと…」に歯止めをかけてくれるのは志なのです。
○その志にどうやって戻ってゆけるかと申しますと、「世界人類が平和でありますように」と祈ったときに、「私は何のために生かされていて、何のためにこの活動をしているのか」というところに、スッと戻ることができます。
○「もっと、もっと」の生き方ではなく、この志を形にするために、「私は今日、どんな日常生活を送れるのだろうか」という生き方に変容させることができるのです。
○そのように、自分自身を本心・本体の志に戻す役割が、世界平和の祈りにあり、白光真宏会にあります。
○私たちは、私心なき大調和を志向して存在しておりますし、これからもその志を抱いて存在し続けることによって、自分自身を律して生きてゆく。
○「私たちがそのように生きてゆくことで、未来への志を見失わないためにこの団体に関わり、ともに未来へ向けて活動したいと思う人たちが増えてゆくだろう」ということを、最近いろんな人たちとの対話の中から感じています。
○だからこそ私たちは、ずっと繋がっている皆様方、そして私自身も、「この軸を常に、日常生活の中心に置いて生きる在り方をこれからも続けてゆくことが大切だ。またそれによって、これから入ってくる人たちがその軸を中心にすえて生きてゆくことによって、どんな消えてゆく姿も学びに変容し、感謝に変容する生き方ができるのだ。私たち自身はそれによって、平和な未来を自分自身で創り上げることができるし、その生き方をとおして世界の平和をも築いてゆけるのだ」という生き方を、行動を通して見せてゆくことができると思っております。
○そのような未来を、会員の皆様方とともに、今年からまたさらに、多くの人たちに広げてゆけることを心から楽しみにしています。今日もどうぞ、この祈りと一つに繋がり、自分のミッション、天命、志と一つに繋がるような時間を、皆様方と送れたらと思っております。よろしくお願いいたします。
【里香先生】
皆様、おはようございます。今のお話は、本当に心に響きました。自分の大元に戻れる場というのは、この物質世界で日常生活を送ってゆくなかにあっては、貴重な場だと思います。
○軸から引っ張り出されたり、足を引っ張られたりすることは非常に多いですし、神聖の世界から物質世界に引きずり降ろされるような体験は、日々しょっちゅうあります。
○しかし省みますと、私たちは霊主体従の存在であります。本来の我々は、霊が主であり、祈りをもってその場に心身を置き続けることが、何よりも大切なことなのだなということを、今のお話を聞きながら感じておりました。
○こういう場がありませんと、この世では、辛い想いをする、苦しい想いをする、自己認識が歪んでゆく、神聖の軸が無いがゆえに迷い、自分の存在(いのち)を大切にできない、神の存在に意識を向けられない、といったことが起こりがちです。
○そういう意識のあり方がまた、多くの苦しみを生み、対立を生んでいる。ですから、やはり今のお話にあったように、自分を軸(神聖軸)に戻せる場を、人類一人一人に見つけていただきたいし、私たちが日常生活のなかで、日々何を軸にして選択・決断をしているのかを見ていただくとともに、我々がどのようにして輝かしい生き方をしているのかに触れていただくことによって、多くの人々が「生活の中に祈りの場を持つ必要があるのだな」というふうに、影響されてゆくと思います。
○ですから、皆様方がお祈りをとおして自らの軸を正し、たくさんの人々関わっているということ自体が、ものすごく大きなお働きですし、皆様方は、何よりも世界の平和に貢献されている存在です。
○今日もあとで、地球の自然への感謝をしてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
【真妃先生】
○それでは、皆様と世界平和の祈りをさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
<世界平和の祈り>
【里香先生】
○ありがとうございます。それではこれから、五井先生のご著書…、今日選んできたのは『空即是色―般若心経の世界』というご本の中の「最後にある質疑応答の部分(198P)」を読ませていただきます。その中で五井先生の『うつるもの』という素晴らしいお歌が紹介されており、そのお歌について質問がされている部分をお読みしたいと思います。どうぞお聞きください。
<五井先生のご著書の朗読>
“うつるものおのずうつりておのず消ゆ己は澄みてただひそかなり”
○もう一度読みますね。
“うつるものおのずうつりておのず消ゆ己は澄みてただひそかなり”
○このお歌のみ心を教えていただきたいと思います。というご質問です。
これはどういう歌かというと、私の心境なんです。皆さんもこうなったほうがいい。というのは、この世に現われてくるものはみんなうつるだけなんです。この世は現世、浮世ともいい、肉体は現身ともいいます。ただ現われているにすぎない。この肉体というものは実在じゃないんです。
実在はなにかというと、神のみ心そのもの、神の子である霊、神霊が実在であって、神霊波動がここに現われている。神霊波動がまっすぐ現われていれば、これは文句なく人間はみんな神の子で立派なんだけれども、神霊波動が神界から肉体界に現われるまでに、波動が随分違ってくる。微妙な波動なのに肉体界でずーっと粗い波動になる。
たとえば歩いていけばここから大阪へ行くのでも何日もかかる。それがジェット機で行けば僅か1時間そこらで行っちゃう。それだけの違いがある。本当の世界では一瞬にしてすべてが善である。すべてが完全なわけなのが、肉体の世界では完全にまで歩みを進めるためには、何十年何百年何千年とかかる。歩みが遅い、波動が粗いから遅いわけです。ピューとスピードが速くない。
本当は人間の本性は完全なんだけれども、この現われの現身の世界では不完全なんです。やがて最後に完全になるけれども、完全に到達するまでは不完全です。不完全なものはあくまでも不完全だけれども、それは現われてくるだけでどんどん消えてゆく。消えてゆくと本質がそのまま現われる。ちょうど舞台に幕を引いているみたいなもので、幕の外から見ていればなにも中が見えませんけれど、幕を開ければ中の本当の姿が見えてくる。幕を開けなければ完全な姿は見えない。
だから、うつるものは自然の法則で自ずから消えてしまうんです。うつるものおのずうつりておのず消ゆ、なんです。本当の自分はただ光り輝いているものなのです。これは私が体験したことです。うつるものに把われないでうつらせておけばいい。病気が出たら病気が出るような原因があったわけ。前の世と今生の生き方想い方で病気になってくるんだから、ちゃんと対応処置をとっておきさえすればいいんで、心が怯える必要はない。心が怯えないためにもその病気に把われちゃいけないということです。
それがちゃんとわかって悟ってる人は把われないんです。病気とか痛いのは嫌です。だけど嫌だ嫌だと思わないで、痛いな、嫌だナと思うけれど、それだけなんです。うつるものはうつるままで去らしてしまう。ところが下手な人、悟らない人は病気とか不幸とか嫌なことが現われると、掴んじゃって嫌々だ嫌々だと放さない。放さなけりゃいつまでもうつっている。放しさえすればどんどんうつって消えちゃう。消えるに従って本当の自分の真我というものが現われてくる。真我は静かに輝いている。
昔から仏教では「把われるナ、空になれ」というけれど、言葉では易しいけれど、実際に行うためにはなかなか難しい。
そこで私は把われてもいいというんです。怒りに把われる、恐怖に把われる、嫉妬に把われる、憎い想い、悪いことに把われる。把われたら把われたものをそのまま平和の祈りの中に持っていきなさい。世界平和の祈りをしていれば、把われを世界平和の祈りを光明波動で消してくれる。把われちゃいけないといっても把われる。人間は聖者ばかりじゃないから把われても仕方がないから、把われたらすぐ平和の祈りをしなさい。平和の祈りの中で洗濯しなさい、とこうやって教えている。わざと教えを下げているんです。
お釈迦様が現われキリストが現われてもこの世界があんまり幸せになっていない。なぜかというと難しすぎた。あんまり真理が高すぎて現実が低く離れすぎているからどうしても出来ない。空になれ、無為にしてなせといってもなれません。そこで私が消えてゆく姿で平和の祈りという梯子をかけ、エレベーターを作って、さあ消えてゆく姿ですよ、ああこれは消えてしまった、これで良くなるんだ、とやっているうちに知らないまに空の世界に到着しちゃう。そういうふうに梯子段あるいはエレベーター、エスカレーターをつけている。
だから消えてゆく姿で平和の祈りさえやっていれば、あんまり他のことを考えなくても自ずから自分の幸せはくるんで、あまり考えて考えに把われると、またそこでもたもたします。考えて考えて考えに把われたら、把われた想いをまた平和の祈りの中に入れる。また把われたら平和の祈りの中へ入れる。そうやっているうちに、把われが千のものが百になり、百のものが十になり、十のものが一になってくるということで、それで把われがなくなります。
霊界へ行っても自由自在になります。肉体界は把われることが多い。しかし、霊界へ行きますと、パッと把われがなくなります。それは守護霊守護神がもっと身近になりますから。
○はい。素晴らしい文章でした。真妃先生いかがでしたか。
【真妃先生】
○五井先生のお話に耳を傾けながら、現われては消えてゆくという、『人間と真実の生き方』の中に書かれているお言葉の背景にある深い叡智や真理を噛みしめていました。
○私の中で感じたイメージは、前にも原稿に書かせていただきましたが、『水の三態』を思い出していました。
○水(H2O)というのは、そのバイブレーション、エネルギー状態が高いときには、水蒸気となり、自由自在に空気中に存在している。
○けれども、そのエネルギー状態が少し下がってきますと、今度は水という形の状態になり、池やコップ、どこかの場所や容器の中などに収まって、溜まって働く形で存在するようになる。
○さらにエネルギー状態を下げた状態で存在しますと、氷という固体の状態になる。
○本来は、氷も水も水蒸気も、同じH2Oという原子で出来ていて、そのエネルギーの状態によって、どのような形にもなれるということが、イメージで浮かんできました。
○私たちにとってのエネルギーの本質というのは、愛であったり、祈りであったり、真善美です。その本質に立って、固体の氷のような想いの動きを愛の心で見つめるのです。
○個体になっている想いに、「世界人類が平和でありますように」という生命の大元のエネルギーを与えることによって、固体であった氷の想いは水になり、水蒸気に変容してゆき、自由自在に働けるようになってゆく。(それが消えてゆく姿の真髄―把われを手放し自由自在心を得てゆく)
○これは、水蒸気や水の状態がよくて、氷が悪いということではありません。すべての現われは、現われた瞬間に消えてゆき、変化変滅してゆきます。
○すべての存在は、その瞬間瞬間のエネルギー波動の違いによって、現われもするし、消えもするということでありまして、「過去の現われ」と五井先生がおっしゃっていたその「過去の姿」については、『人間と真実の生き方』や『神と人間』の中にも詳しく書かれています。
○私たちは本来、神と一直線に繋がっており、自分の本質というのは、常に平和であり、愛であり、神聖な存在そのものであって、その軸を常に心に持ち、そのエネルギーの媒体となって生きていきさえすれば、どのような状態にあっても、どんな事態をも、いかようにでも変容させられるだけの力を、私たちは持っているのです。
○けれども、私たちが「大いなるものと繋がっている」という事実を忘れてしまい、横のしがらみに把われてしまい、自分という存在を低い固体の世界にはめ込んでしまいますと、氷の状態でしか生きてゆけないと思い違いをし、「自分は氷の状態で生き残ってゆかなければいけない」というふうに思い込んでしまうようになります。
○その想いは、エネルギーが低い状態に縛りつけられた把われの想いであって、自分の力で高いエネルギー状態に飛翔できるとは思えなくなってしまっている消えてゆく姿の状態です。
○それはどういった状態かといいますと、「本来の自分は、自由自在に、固体から水にも気体にもなれる」ということを忘れてしまっている状態です。
○自分の中にある神聖の力、愛の力、祈りの力でもって、神との繋がりがしっかりとできあがっていれば、私たちはそれを理解することができます。
○その状態にありますと、「自分は固体なんだ」という、昔からの習慣に流された想いの姿、凝り固まったその想いによる言動行為のすべてが、「過去世から現在に至る誤てる想念の消えてゆく姿だった」というふうに理解できます。
○そういうふうに、神聖の力、愛の力、祈りの力で神(守護の神霊)との繋がりを持っておりませんと、過去の誤てる想念はそのまま固いシコリとしてずっと残り続けます。
○その固体の状態は、本当は消えるために現われているのですが、私たちが二元対立の同じ意識レベルでその状態を何とかしようとしますと、それがまた執着となり、「私はそういう存在なんだ」「私は人を陥れている存在なんだ」「私は価値のない存在なんだ」というふうに、ますます想いの癖を凝り固めてしまい、固体の存在として生きてゆくことになってしまうのです。
○先ほども、本来の自分の居場所というお話がありましたけれども、生命本来の居場所、自分本来の姿に立ち戻ったとき、「私は神聖の存在である」「愛の存在である」という軸に立つことができます。
○そのように、神聖の軸に立ち位置を戻した段階になりますと、私たちは「過去から現在に至る自らの誤てる想念」が見えてきます。そして、守護霊様が潜在意識にある“覚えてない記憶”の中にある想いの癖を、固体として目の前に現わし、消してくださっていることに対して、素直に感謝できるようにもなります。
○私たちは、そうした固体の想いに、愛と祈りと平和のエネルギーを送るのです。それは、「世界人類が平和でありますように」というエネルギーで包み込んであげることです。
○それによって私たちは、氷になっていた想いの癖を溶かすことができます。氷は、水の中に入れると、入れただけで溶けてゆきます。ですから、水の中に入れるだけでいいんです。水の中に入れるだけで溶けるのです。
○氷になった想いを、水の中に入れただけでその固体は、本来の姿である神聖の中に融合されてゆき、カチコチの角々しい、ぶつかり合うことでお互いを削り合うような存在から、水のように器によって形を変えるような、柔軟な思考の存在(水、または水蒸気)になります。
○そのように想いの癖を手放す状態というのは、特定の形の容器(思い込みや決め付け)から水を外に出すことに例えることができます。
○私たちは、水(想いのしこり)を容器の外に出した瞬間に、それは手放すことができるのです。容器から水をこぼしてゆくことによって手放し、手放した水は流れてゆき、それはさらなる温かいエネルギーによって水蒸気となり、本当に消えてゆく姿が成就してゆく。
○それは、本来の姿に戻る…、愛そのものの本心に戻ってゆくことです。ですから、現われては消えてゆく姿を、私は悪いものとして捉えてはいません。
○「自分は神聖ではない」という過去の感情、言い換えますと、「自分と神は別々の存在である」という想念習慣の中で起こしたすべての言動行為は、現われては消えてゆくものであります。
○それは、必ずしも自分にとって都合が悪いことばかりではなく、例えば自分が何か成功を収めたときに、「成功したこのプロジェクトは私がやったことだ」という自尊心、「私のおかげですべて可能になった」という考え方も、私は消えてゆく姿であると思っております。
○そういう想い方が固体から液体、液体から気体へと次元上昇してゆきますと、「これをやらせていただいたのは、大いなる自分の天命であり、守護霊様・守護神様との協働の中でやらせていただいたものなのだ。だから、大きな成功を収めたのは嬉しいけれども、この成功をともに導いてくださった神々様、ありがとうございます」という、縦との繋がりを忘れることなく生き続けることができるようになります。
○それによって、消えてゆく姿を未来に送る(持ち越す)ことなく、成就することができます。
○消えてゆく姿が薄くなってゆくというのはどういう状態かといいますと、私たちの今この瞬間の活動、言動行為が、すべて神聖意識から生まれたものに変容してゆくということです。
○そうなってまいりますと、私たちは未来に禍根を残さない生き方をしていることになります。そういう意味で言いますと、私たちが軸足を神聖に戻し、神聖軸に立って生きれば、過去の消えてゆく姿も執着もなくなり、消えてゆく姿を成就できますし、自分の未来に対しても、輝かしい未来を届けられるようになります。
○私は、その軸にあるのが、「世界人類が平和でありますように」という祈りであり、印であり、守護霊様・守護神様への感謝であり、自然や生きとし生けるものへの感謝であり、身近にいる人たちへの絶え間ない感謝の心を持つことだと思っております。
○“うつるもの おのずうつりておのず消ゆ 己は澄みて ただひそかなり”の心を自分のものにして生きてゆきますと、私たちはそのような生き方ができるということを、五井先生のお言葉をとおして、今日は改めて本当に、自分の中に刻み込むことができました。ありがとうございました。由佳先生、いかがですか。
【由佳先生】
○はい、ありがとうございます。真妃先生のすごいイメージを自分の中で膨らませていました。固体の氷の状態になると、私たちはお互いにぶつかり合い、削り合ってしまうというところなどを思い出しながら、「固体から液体へ、そしてそれを経てきたあの自由の愛そのまま、神聖そのままになるための力は何だっただろう」と思ったときに、五井先生がその力を、私たちに常に与えてくださっていたなということを、今日のご文章をお聞きしながら思っておりました。
○私は、いつも五井先生の文章を読んだり聞いてたりしておりますと、「愛されているな」と思わずにいられないのです。
○五井先生は、人間の人間らしさを誰よりもわかってくださっていて、だから本来の私たちが神聖の存在であることももちろんですが、とはいえ、肉体を持った人間の難しさは、複雑さ、遅さ、などいろいろあるなかで、それを丸々包み込んでくださって、「それでも大丈夫だよ」「大丈夫なんだよ」というひびきを、『人間と真実の生き方』を読むときもそうですけれど、今日もそれをすごく感じさせていただきました。
○心が怯えてしまうような状況であったり、思考に把われてしまったり、「把われるな」と言われたら「把われないようにしよう」と把われてしまう心であったり、でもそうした状況さえも五井先生は、最終的には丸々抱えてくださって、「大丈夫だよ」とおっしゃってくださり、「把われてもいいから世界平和の祈りを祈りなさい」と、この今生の肉体の云々かんぬんに意識をとどめさせずに、世界平和の祈りという神界に直通したエレベーターで、ポンッと神の響きの世界に戻してくださいます。
○私たちには世界平和の祈りがあり、側にはいつも守護霊様・守護神様が、私たちひとりひとりについていらっしゃいます。それは、この肉体人間界がどんなに苦しくて辛いところかということを、神々様がわかっていらっしゃるからです。
◯私たちの今生というのは、そこまでして神々からの応援や愛を受けています。生活の中では、ついつい把われがちですけれども、私たちはもう、神の世界に戻るツールを頂いています。
○今生で生きておりますと、心が不安恐怖に怯えるようなこともありますが、五井先生のご文章を読めば読むほど、「どんな状況のなかにあっても、私たちは神々様から愛されているのだな」という確信が溢れてきて、不安恐怖にドップリと浸からずに生きられるようになります。
○「自分がどんな状況にあっても、何をしたとしても、何ができなかったとしても、何がどうなってこの世で苦しんでいたとしても、憎くても怒っていても、世界平和の祈りを祈ってさえいれば、大丈夫なんだよ」という五井先生のお心を思いますと、「私たちは究極的に愛されている」ということを、五井先生のご文章からいつも感じさせていただいています。
○自分は、守護霊様・守護神様・五井先生から愛されているということを常に感じておりますと、この世的なしがらみを超えた軸がある居場所に、自分自身をいつも戻すことができるのだということを、今回の把われを手放すお話をとおして感じました。
○私たちは、何をどうひっくり返してみても愛されているし、「自分は愛されている存在なんだ」という気持ちを忘れずに生きてゆけば、ついつい氷になりやすい日常ではありますが、守護霊様・守護神様の愛に委ねて生きてゆきさえすれば、自分は結局、最終的には、「常に究極的に愛されているのだな」というところに戻ることができます。
○そのように思いますと、「意識を気体に戻して、自由自在な把われのない心境になることができ、いろいろな感情に把われたり、把われたことにまた苦しんだりする必要すらもなくなるのだな」ということを感じました。
○あともう一つ、始まる前の動画で、富士聖地の美しい自然を見ていたときに、「そうそう、これも過ぎ去ってゆく」と思って見ていました。
○いいことはついつい、ずっと残っていてほしいと思いますが、それすらも掴みやすい私たちは、それでも桜が咲けば散ることも知っておりますし、冬に枯れた花たちも、春になればまた咲くということも知っています。
○そのように、富士聖地の自然の写真を見ながら、「季節の瞬間瞬間に把われるのではなく、その瞬間をただ味わえばいいのだな」ということも感じてました。
○「これも過ぎ去ってゆく。大丈夫。いいことも悪いことも過ぎ去ってゆくのだ」というふうに、そういう大きな気持ちで、高い視点から見ることも大切だなということも、今日の文章から感じさせていただきました。里香先生、ありがとうございました。
【里香先生】
○本当に素晴らしいお話で、由佳先生がおっしゃったように、愛されている気持ちだとか、もうすでに救われているのだという気持ちだとか、本心の自分がいる清らかな波動の世界へと修正していただけていることだとかを、私自身も音読させていただきながら、五井先生のひびきがある静寂の世界へ、一瞬にして連れていっていただいた気持ちになりました。
○五井先生のご文章が持つこの力は、現われている言葉の奥にあるひびきによるものであります。それは、私たちが理解するしないを超えたところのものであり、ただ本当に、五井先生のひびきを読んだり、聞いたりしているだけで浄化され、昇華され、自分の努力を超えたところへと、おのずと引き上げてくださる力です。
○最後に皆様、もう一度読みますので、少し静かな時間を持って、自分自身の内奥にある静寂なひびきと共振していただきたいと思います。
“うつるもの おのずうつりて おのず消ゆ 己は澄みて ただひそかなり”
○はい。ありがとうございました。
【真妃先生】
○それでは、皆様と自然への感謝行をしてまいりたいと思います。先ほどもお伝えいたしましたが、「感謝の心」は「愛の心そのもの」であります。
○感謝の心は、すべてのカチコチに固まった執着や、ぶつかり合う想いや、批判・非難する心を溶かしてくれる愛のエネルギーです。
○自分自身の内面で、そのように感謝の心と繋がるときに、私たちは神そのものの姿、神聖そのものの姿と繋がることができ、そのエネルギーで言葉を発し、印を組むことができます。
○ですから本日はぜひ、ご自身の中にある愛溢れる神聖な部分と繋がりながら、すべての自然と生きとし生けるものへ向けて、感謝の祈りを届けていただきたいと思っております。それでは、よろしくお願いいたします。
<地球世界感謝行>
【由佳先生】
○はい。以上が地球感謝行となります。そして最後に一度、せっかくの機会ですので、2025年に改めて、昌美先生の『七つの言霊』を皆様と一緒に奉唱して、神聖復活の印を一回組んで終えてまいりたいと思います。では、お願いいたします。
<七つの言霊>
○はい。ありがとうございます。では今日、里香先生が読んでくださった五井先生のあの質疑応答の引用と、今の昌美先生の力強い、私たちの大いなるミッションの宣言を感じながら、皆様とともに一度だけ、神聖復活の印を組ませていただきたいと思います。
<神聖復活の印>
○目を閉じて、私たちが今組んだ神聖復活の印の光が、世界中に届いていることをイメージしていてください。はい。ありがとうございました。
【里香先生】
○今日は皆様、ありがとうございました。本当に素晴らしい時間だったと感じております。さっき、由佳先生がおっしゃったような「愛されていることを実感できる時間」というのは、私たちの日常生活のなかにはなかなかありません。
◯しかし、本当に愛されているという意味では、法則の神様と救済の神様の両方の働きが、肉体にある私たちを背後からサポートし、内部から押してくださっていて、神聖なる姿が私たちの表面に現われるように応援してくださっています。
◯それは、おのずと映し出され、おのずと消えてゆく働きを司る法則の神様と、五井先生の慈愛による守護の神霊という救済神、救世の大光明霊団のお働きであります。これらのお働きは、私たちの努力を超えた慈愛や慈悲の働きです。
◯そのように、この世界が進化創造してゆくために働かれている大いなる意識へ融合するように、私たちが祈りと共振しながらそこへ繋がってゆけば、その大いなる意識と私たちの肉体意識が融合しながら、本当にすごい世界を創り上げてゆくことができます。
◯今日は、そうした救済神と法則神の両方の働きが私たちを背後から導いてくださり、神聖なる姿が私たちの表面に現われてゆく様子を実感することができて、大変にありがたく思いました。
【由佳先生】
○私も2025年に入り、世界を本当に救ってゆくのは、やはり神聖に目覚めたひとりひとりだと感じていました。
○五井グループの働きはそれぞれありますけれども、その大元は「世界人類が平和でありますように」という祈り言葉に集約されております。この祈りのひびきこそが本当に、地球人類を次なる次元へと、地球人類全員を一人残らず引き上げてゆきます。
○本当に素晴らしい地上天国をこの世に創り上げるために、より一層、五井グループである私たちの祈りや印など、そうした活動で、本当に人類が幸せに、平和になってゆけるよう、また皆様とともに、今年一年、一緒にこうやって祈れることに感謝し、喜びを持っております。本日もありがとうございます。
【真妃先生】
○ありがとうございます。今日もご参加いただきましてありがとうございます。動画による祈りの会が、皆様の神聖や、世界人類が世界平和への祈りや愛の立ち位置に戻れるような居場所になるよう、続けてゆきたいと改めて思いました。
○そのように動画による祈りの会が、神聖のひびきが現われた居場所になるためには、同じような想いを持った人たちが集まることが大切で、そういう集まることができる場をつくらせていただけることに、改めてすごく深く感謝しました。
○あとは、やはり「感謝は愛」ということです。先ほどの話で、「私たちは愛されている」とありましたが、愛されているからこそ、私たちも愛する側の存在なのだと思いました。
○愛する存在というのはどういう存在かといいますと、どんな人やものごとに対しても、感謝できる存在です。
○「人を愛しなさい」と言われてもすごく難しいことですが、私は愛と感謝というのは、イコールで結ばれていると思っています。
○人を愛することが難しいときであっても、その人の存在に感謝することはできます。例えば、すごく苦手な人や苦手なことがあったときに、「この存在に対して感謝できることは何だろう」というふうに、自分自身に問いかけてみてください。
○そうしようとしますと、その人の過去のいろんな言動に対して「憎たらしい」と思うことがあるかも知れませんが、その問いかけによって、自分の中に感謝を見つけられるようになります。(守護霊様が感謝できる事柄を教えてくださるため)
○見つけられないときには、表面的に「ああ、素敵な靴ね」とか、「素敵なお洋服ね」とか、「素敵な髪形ね」とか、本当に思ってないことでも感謝するようにしてみる。思ってもいない感謝は、本当の感謝のエネルギーではないんですけれど、そのように、真剣に相手と向き合ってゆきますと、その方に対する感謝を見つけられるようになってゆきます。
○また、その方の行動を注意深く見つめて、「自分がこの人に送れる感謝の気持ちはないか」と思ったときに、それが見つけられた、イコール、それは愛のエネルギーだと私は思っております。
○そうなったら、それをその人に伝えられたらいいし、伝えられなくても、自分の中で消えてゆく姿の塊(固体)として現われたときに、それは病気であれ、その存在であれ、その存在に対して感謝を見つけられる要素がたくさんあります。
○そのようにして、その存在に対する感謝を見つけられたときに、その存在に愛のエネルギーを送ることができ、その存在に愛のエネルギーを送ることができたときには、その存在は固体である氷から水、気体へと消えていって、自分の心を犯すものではなくなってゆきます。
○皆様方も今日、日常生活を送りながら、ぜひ皆様が感じた愛のエネルギーを、感謝という形でいろいろなところへ送ってみてください。
○それは、自分自身に対してかも知れません。見えていなかった様々なことに感謝できる素敵な自分の要素でもいいと思います。そのように、五感に感じた想いを感謝のエネルギーに変容して、私たちが受け取った愛を今度は、自分が愛を送る側として送っていただけたら、世界のエネルギー、世界平和の波動が上がってゆくだろうということを改めて思いました。
○最後になりますが、五井平和財団からのお知らせをさせていただいて、終了させていただきたいと思います。
<五井平和財団からのお知らせ>
【由佳先生・真妃先生・里香先生】
○それでは、今日の動画による祈りの会を終えたいと思います。皆様、今日もご参加いただきありがとうございました。来月は、第2週の土曜日にお会いできるのを楽しみにしています。