Zoom祈りの会メルマガをお読みの皆さまへ
いつもご参加くださりありがとうございます。
4月26日(土)の『動画による祈りの会』の書き起こしレポートを送ります。
250426_動画による祈りの会_由佳先生、里香先生
【里香先生】
○皆様、おはようございます。本日は動画の祈りの会にご参加くださいまして、まことにありがとうございます。由佳先生、どうですか。
【由佳先生】
○はい。4月ももう終わりそうで、こちらでもスタッフ全員がSOPPの準備を進めてくださっていたり、今週は昌美先生と富士聖地で、SOPPの事前の宗教のお祈りをさせていただいたりと、あっという間に2025年のSOPPを来月迎えようとしています。日々の月日の流れにちょっと驚くばかりです。
【里香先生】
○今年のSOPPも本当に海外の方からのお祈りですとか、国内もそうですけれど、たくさんの素晴らしいメッセージが届いておりまして、一つ一つ読ませていただく中で、本当に私達の中でもこの絆というか、私達が築いてきた関係性がどんどん深まっている、ということが露わになっています。
○白光真宏会の会員の皆様のお祈りを軸に、いよいよこの2025年から世界と手を繋いで広がってゆくなかで、人類の内なる神聖が輝き始める流れが来ているのかなというふうに、私も今回のSOPPのいろいろなメッセージを拝見しながら思ていたところでした。
【由佳先生】
○もう一つ、前回の動画による祈りの会で『ガーデンオブピース』というイルミナティフェスティバルでの入賞へ向けてのご協力をお願いしましたが、私達の知り合いが新たに絵本を作ろうとしていて、ユミという名の日本人の女の子が世界中から叡智や真理を学びながらピースポールを立ててゆくという、その主題歌がイルミナティフェスティバルでコンテストに参加してたわけなんですけれども、その作家のテスさんの目標が「再生回数が6000回超えればファイナリストになるんじゃないか」ということだったのですけれど、前回、皆様のご協力をいただいて、視聴回数がグッと伸びて、今はもう7000回を超える再生回数になっていて、一番上のほうに表示されるようになりました。(4/27現在第2位)
○これはもう、本当に皆様のご協力のおかげで、実際のフィルムフェスティバルは5月1日から4日までで、発表は5月4日にあります。
○作家のテスも現地で参加するそうで、ファイナリストは現地で何か紹介できるらしいんですけれども、皆様のおかげで、そういう機会も得られそうだとのことで、また彼らからの報告を楽しみにしております。
○本当に皆様のおかげで、こうやって「May Peace Prevail on Earth」というピースポールのメッセージが歌の響きに乗せられて届けられ、フィルムフェスティバルでもファイナリストとして上映されることになったと思いますので、本当に改めてこの場で皆様のご協力、ありがとうございました。
○また情報が入り次第、こちらからもお伝えしてゆきたいと思います。はい、以上です。
【里香先生】
○はい。ということで、今日のメインプログラムは、地球世界感謝行になります。皆様のお祈りを通して、この地球自然感謝行を行なってまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。それでは由佳先生、お祈りをお願いいたします。
<世界平和の祈り>
【由佳先生】
○ありがとうございました。では里香先生、メインプログラムをお願いいたします。
【里香先生】
○はい。それでは、今日はこの『老子講義』から朗読をさせていただきまして、自然に対する感謝の静かな時間をとって、皆様とご一緒にお祈りをさせていただきたいと思います。
○本日読ませていただいく講話は、第18講『昔の一(いつ)を得たる者』で、171ページから始まる『老子講義』の文章なんですけれども、全部細かくゆっくりと読んでいきたいんですけれども、それでは時間がなくなってしまいますので、部分を割愛させていただいて、最後まで読んでまいります。
○これから読ませていただく『老子講義』がお手元にありましたら、皆様、読み直して深めていただけたらと思います。聞いて耳で入ってくる言葉、真理、言霊と、その後に開いて読み直してみるのとでは、またさらに違う気付きを得たりすることもあると思いますので、ぜひそのあたりは皆様工夫されて、お読みいただきたいと思います。では始めたいと思います。
第十八講 昔の一を得たる者……
道徳経 第三十九章
五井昌久著 『老子講義』
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(原文略)[読み方]
昔の一(いつ)を得たる者。天は一を得て以(もっ)て清く、地は一を得て以て寧(やす)く、神(しん)は一を得て以て霊に、谷は一を得て以て盈(み)ち、万物は一を得て以て生き、候王(こうおう)は一を得て以て天下の貞(てい)と為(な)る。其(そ)の之(これ)を致せるは一なればなり。天以て清きこと無ければ、将(まさ)に恐らくは裂けんとす。地以て寧(やす)きこと無ければ、将に恐らくは発(ひら)かんとす。神(しん)以て霊なること無ければ、将に恐らくは歇(や)まんとす。谷以て盈(み)つること無ければ、将に恐らくは竭(つ)きんとす。万物以て生きること無ければ、将に恐らくは滅せんとす。候王以て貴高なること無ければ、将に恐らくは蹷(つまず)かんとす。故に貴(とうと)きは賤(いや)しきを以て本(もと)と為し、高きは下(ひく)きを以て基( もとい)と為す。是(これ)を以て候王は、自ら狐(こ)・寡(か)・不殻(こく)と謂(い)う。此(こ)れ賤しきを以て本(もと)と為すに非(あら)ずや。非なるか。故に数輿(すうよ)を致さんとすれば興(よ)無し。琭琭(ろくろく)として玉(たま)の如く、落落(らくらく)として石の如くなるを欲せず。
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昔の一(いつ)を得たる者。天は一を得て以(もっ)て清く、地は一を得て以て寧(やす)く、神(しん)は一を得て以て霊に、谷は一を得て以て盈(み)ち、万物は一を得て以て生き、候王(こうおう)は一を得て以て天下の貞(てい)と為(な)る。其(そ)の之(これ)を致せるは一なればなり。
昔の一を得たる者。というのは、永遠の一を得たる者という意味です。永遠の一というのは、大生命ということでもあり、あらゆる力、あらゆる能力権能をもっている一であり、種々様々な相(すがた)で現われている、万象万物のそれぞれの相(すがた)で現われぬ以前の、全能の一である、易しくいえば、宇宙神のみ心そのものということであります。
一といいましても、現在では種々なる物事事柄に使われていますし、一の次には二というように、数のはじめの言葉として使われていますが、老子が昔の一といっている、この一というひびきの物凄さというか、素晴しさというか、心身を圧する全能の力というか、深い深い深い深い、いくら探っても探りきれなく深く、高く、高く、高く、その高さ極まりない透徹した無限永遠の底に輝きわたる光そのものであることを、私は心の底から感じるのです。言葉というものは不思議なもので、いっているその人の心の高さ深さが、聞く人の心にそのままひびいてくるものです。
老子のいう一たるや実に、宇宙神のみ言葉そのものとして私にはひびいてくるのです。そうした深い根源の一を得ていると、天は清く、地は寧(やす)く、神は以て霊に、というのでありますが、神は以て霊に、ということが読む人にはどういう意味か判らないでしょうから、説明致しましょう。
ここでいう神というのは、宇宙神というような意味の神ではなく、魂(こん)という意味なのであります。釈尊なども、霊魂のことを神(じん)といういい方をしています。ですから、神が一を得て霊にというのは、根源の力を得て、はじめて霊魂としての自由自在性を得るのだというのです。
谷は一を得て盈(み)ち、万物は一、つまり大生命につながっていることによって生き、侯王は真理を得て以て、天下の貞、即ち基範となる。こういうように、それぞれの生き方在り方を正しくするのは、みな根源の一につながっているからである。一なる宇宙神のみ心によるのである、というのであります。
天以て清きこと無ければ、将(まさ)に恐らくは裂けんとす。地以て寧(やす)きこと無ければ、将(まさ)に恐らくは発(ひら)かんとす。神(しん)以て霊なること無ければ、将(まさ)に恐らくは歇(や)まんとす。谷以て盈(み)つること無ければ、将に恐らくは竭(つ)きんとす。万物以て生くること無ければ、将に恐らくは滅せんとす。候王以て貴高なること無ければ、将に恐らくは蹷(つまず)かんとす。
天以て清きこと無ければ、将(まさ)に恐らくは裂けんとす。ということは、実に真実のことでありまして、この地球上の天変地異は、すべて天の汚れが一の力によって浄められるときに起るものであります。天の汚れというのはどういうことかと申しますと、この地球界の主宰者は人類なので、人類の想念波動によって、どのような光明界にもなり、地獄絵ともなるのです。人間の一人一人の発している想念が汚れたものであれば、地球界はそれだけ汚れるのであります。そうした人類想念の汚れは、地球界をつつんでいる天をも次第に汚してゆくのであります。
この汚れがあまりにひどくなりますと、一の力、つまり大生命の力が、この汚れを払うために、それまで働いていた以上の力をそそぎこむことになるのです。そう致しますと、その汚れが一瞬にして払われまして、その様相が、いわゆる業(カルマ)波動の消えてゆく姿、として、大天変地異となるのであります。
これが、将に恐らくは裂けんとす、なのであります。地以て寧(やす)きことなければ恐らくは発(ひら)かんとす、もやはり同じ意味でありまして、この災害を防ぐためには、人間側が、天変地異に先んじて、自らが一の中に自分たちの想念波動を入れきってしまわなければならないのです。これが祈りなのであります。そしてこの祈りの最高の方法が、世界平和の祈りなのです。世界人類が平和でありますように疋ゥゥこの祈りこそ、人類が一を得る最上の方法なのであります。
神(しん)以て霊なること無ければ、将(まさ)に恐らくは歇(や)まんとす。この神ということは先にも申しましたように霊魂ということでありますが、もっと深くいえば、地球世界の人類の五感に触れない様々な生命体、守護の神霊をも含めたものともいえます。
この守護の神霊といえども、守護の神霊単独で働いているのではなくて、一なる大生命の力を得て、人類守護の任に当っているのであり、その神通力を現わしているわけでありますから、大生命即ち大霊から流れてくる霊光が絶えてしまえば、その働きができなくなってしまうのであります。
この守護の神霊の働きを自由になさしめ、祖先や縁者の霊魂の働きを易くするためには、肉体人間側が、常に祈り心一念の生活をしていることが必要なのです。何故祈り一念の生活が必要かといいますと、祈りというのは、人間の想念を、生命の根源、つまり老子のいう一の中に常に入れきっている姿をいうのでありますから、人間が霊そのままの姿になっているわけです。従って、人類全体の業想念波動の中にいても、本来の神の子の姿そのもので生活していられるのです。そこで、そうした光明的なひびきは、守護の神霊の働きと一つのひびきとなり、守護の神霊の働きを楽にし、諸々の霊魂の光明化にも役立つのであります。
谷以て盈(み)つること無ければ、将(まさ)に恐らくは竭(つ)きんとす。以下すべて、一を得ることによって、それぞれの本来の働きができるのであり、一の力が働かなくなれば、すべてはその働きが消滅してしまうものである。というのであります。
故に貴(とうと)きは賤(いや)しきを以て本(もと)と為し、高きは下(ひく)きを以て基(もとい)と為す。是(これ)を以て候王は、自ら狐(こ)・寡(か)・不殻(こく)と謂(い)う。此(こ)れ賤(いや)しきを以て本(もと)と為すに非(あら)ずや。非なるか。故に数輿(すうよ)を致さんとすれば興(よ)無し。琭琭(ろくろく)として玉(たま)の如く、落落(らくらく)として石の如くなるを欲せず。
このように、すべての存在は一なる大生命、永遠の生命によってなされているのであるから、貴ということも、賤(いや)しいということも(この賤(いや)しいということは、心の問題ではなく、位のことであります。)一の現われであって、貴い位の人は、賤(いや)しい位の者を以て、その本として、差別をつける心をもたぬようにし、高きは、下(ひく)きをその基として、貧富の差をもって賤(いや)しむような想いをもってはいけないというのです。
だから侯王ともなれば、自分のことを、孤(こ)つまり、みなしごであるとか、寡(か)、徳のすくない者であるといったり、不穀、稔りのない、ふしあわせの者である、というような、号をつけて、自分を低く置いているのであります。こうして、自分の想いを低いところに置いて、賤(いや)しい者や貧しい者の生き方を手本としているのである、といっているのです。
であるから、一つの乗物なら乗物をみるのに、一つ一つの車をはずしてみて、これが乗物かとみれば、そこには乗物の形が崩れて無くなってしまうように、一なる大生命の表現である、すべての存在を、これは輝いた玉のようだとか、これはごろごろころがっている石ころのようだとかいうような差別をつけてはいけない。
例え、形の上や生活の上で、貧富や貴賤の差はあるとしても、その形の現れをみて、軽蔑視の想いや、差別した想いでみてはいけない。すべては生命においては兄弟姉妹なのである、と老子はいっているのであります。
この章で老子のいわんとしていることは、すべてが、大生命、永遠の生命に帰一していさえすれば、この現れの世界は大調和しているのであるが、この帰一する想いに欠ければ、その欠けた分だけが、不調和、不完全になり、その者、その事柄、その存在に欠点ができてくるのであり、遂いに消滅してしまうのである、というのです。
老子が中国に存在した頃からそうなのですが、地球人類は、この一の恩恵を忘れ、一の偉大さを忘れ果てているのであります。勿論個人としては、この一、つまり宇宙神のみ心を自己の心として生きている人もあるでありましょうが、一度び人類国家社会としてみますとき、確かに、人類は一に対する感謝の想いに欠けているのであります。
すべての現れの根源である一なる力を、自分自身の心から離してしまった時には、老子のいうように、天地も万物も、裂(さ)け発(ひら)かれ、滅してしまうでありましょう。
現在の地球世界は、その根源の一から離れきってしまうかどうかという危機にあるのです。それはどうしてかと申しますと、あらゆる人々、あらゆる国々が、現れの存在である肉体人間の自己というものにのみ把われ、その肉体人間の集団である国家というものに執着して、根源の一なる存在、大生命から与えられている、割り当てられたる富や力を、自分たちの方により多く奪い取ろうとしているのであります。これは、一なる存在の定めたる宇宙法則の軌道をそれた生き方でありまして、一を得ざる心の状態であるのです。一を得ざる状態になれば、どのような事態が起るか、老子は、生くることなければ、恐らくは滅せん。といっているのであります。
根源の一の中から出てくる力ではなく、一を離れた力をもってして、如何なる資産を積もうとも、如何なる権力の座にいようとも、それは根源の力の働いていない、数であり座であるのですから、恐らくは滅せんで、いつかは消滅してしまうものなのです。
現在の地球世界の情勢は、前記の通りの状態でありまして、根源の力を離れた数の偉力を誇り、仮の姿の地位に執着しているのであります。
宗教も科学も、昔の一を得なければその道は生きません。永遠の生命の流れをみきわめる明智がなければ、地球人類を救う道とは成り得ません。
それにはどうしても、人為によってつくられた神を捨て、仮りにつくられたる数をも捨てなければなりません。そうした過去のすべてを捨てて、無為なる生活に帰えらなければなりません。
その方法が、世界平和の祈りなのです。世界人類が大調和している、根源の一なるみ心のままなる生き方を希求し熱願する、世界人類が平和でありますように、という祈り言にすべての自己の想念を投げ入れて、投げ入れたところから再び、自己の生活を感謝で頂き直さなければなりません。それが真の信仰であり、一を得たる者の姿です。真に一を得る時、その人の宗教もその人の科学も、それは人類の平和に役立つ宗教となり科学となるのであります。
【里香先生】
○皆様、いかがでしたでしょうか?由佳先生、何か一言ありますか?
【由佳先生】
○はい。里香先生、今日は地球世界感謝行の前に『老子講義』から選んで朗読してくださってありがとうございます。
○感想はいろいろありますが、今日響いてきたのは、やはり人類の想念が汚れていれば、それが地にも天にも影響してゆくのだということでした。
○人類想念の汚れが地球界を包んでいる天をも次第に汚してしまうと、一の力が働くというところで、一の力、つまり大生命の力が、この汚れを払うために、それまで働いていた以上の力をそそぎこむことになると、その汚れが一瞬にして払われる。その様相が、業(カルマ)波動の消えてゆく姿としての大天変地異となるというところが印象に残りました。
○また、今日のお話を聞きながら、講師練成会でもお話させていただいたんですけれど、コロナの時期を振り返り、あのときの人類の想念波動のたくさんの不安・恐怖の中で、私達白光真宏会は、ひたすら「世界人類が平和でありますように」「神聖復活、大成就」と、すべての人々の中の神聖を見続けて、まさにその瞬間に一の響きを、印を通し、祈りを通して根源の一とひとつとなって、光明の響きを放ち働き続けてきた時期であったと思います。
○ですから、昌美先生が、「日本から始まる」とお伝えつづけてくださったことも、改めて「そうですよね」と肯けます。
○多くの人々が一から離れた想念波動を発した生き方をする中で、会員の皆様がこんなにも、どんな状況のなかにあっても、周りがどんなに様々な想念波動であっても、ひたすらに純粋な光明の響きとなって、印を通し、祈りを通して光明のエネルギーを響かせ続けてきたことを、改めてこの文章を読ませていただき、尊い尊いお働きをさせていただいていると感じています。
○そうしたことを思い返して、「地球人類(全体)を救わずして本当の救われの道はない」と改めて実感したのと、どこでおっしゃっていたか忘れましたが、五井先生が「ご神事や神様事というのは、事前に私達に伝えられることはなく、その瞬間に突然降ろされ働かされる」とおっしゃったことがあります。
○そのことも思い返してみますと、2024年もずっとプレートに対してお祈りをさせていただいたように、私達は何か別に先を見てとかではなく、神々様と一つになり無為自然に、瞬間瞬間を一の響きと共に働かせていただいております。
○振り返ってみますと、それが本当に大難を小難にし、人類を救済する働きになっている。誰もそんなことを知らないし、私達もわからないけれど、守護の神霊と繋がりながら世界平和の祈りと印をしていると、おのずとその働きの中に入らせていただいていることになるということを、改めていろいろ感じていました。ありがとうございます。
【里香先生】
○由佳先生、ありがとうございます。私もまったく同じことを思っておりました。やはりこの文章の中で、私達の想念が汚れ始めると、天にも地にも影響を及ぼすとありましたが、“神霊”と五井先生がおっしゃられた私達を導いてくださっている守護の神霊のお働きをこの世に顕わしめることさえも、私たちひとりひとりの生き方にかかっている。
○そうしたことを思いますと、私達が想うこと、語ること、行なうことが、とても大事なものであることが分かります。
○五井先生は、世界平和の祈りは、私達の想念波動を太初(はじめ)の一、根源の一に戻す最高の方法であるとお伝えくださっています。
○その世界平和の祈りを根底において、私たちが根源の一に繋がり、その意識を持って、究極の印である『神聖復活の印』を組み、「世界人類が平和でありますように」という祈りを生活の中で毎日祈り続けているということが、どれだけ地球世界を調和に導いているかということがこの文章でよくわかります。
○私達一人一人の想念、私達一人一人の思うこと、そして意識を向ける場所というものが、とても大きな影響を持っている。私達は、それだけすごい生命(いのち)を持った存在であるということを、改めて思っております。
○だからこそ神々様は、私達に生命を与え、ここに生かしてくださっているわけです。神様は、私達の肉体を通してご自身を経験できるようにつくられ、私達を信じてここへ送ってくださった。
○だから本当に一人一人がここにいて、一なる宇宙神に波動を合わせて日々生きてゆくことができたならば、すべてが本当に調和するということを感じ取ることができました。
○これから地球感謝行を皆様と行なってまいりますけれども、本当にこの文章のように、「この私がやるのだ」という自我の私ではなくて、守護の神霊、神々様、天の神々様の器としてこの肉体を捧げ、この地球と出会い直し、この世界と出会い直し、この大自然と出会い直し、その出会い直しを通して、自分というのは、「過去の自分ではない」と改めて認識し直し、今この瞬間にも、神々様の生命をいただいて生き直し、毎瞬毎瞬、生命をいただいている私たちが神々様の器となって祈らせていただくという気持ちで、地球世界感謝行の12項目をとおして、すべてに感謝を捧げてまいりたいと思います。
○それでは、はじめに少し静かな時間をとってから、由佳先生にリードしていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
【由佳先生】
〇では、自然感謝行を始めてまいります。
<地球世界感謝行>
【里香先生】
○それでは皆様、神聖復活の印を7回組んでまいりたいと思います。
<神聖復活の印を七回>
【里香先生】
○はい、ありがとうございました。今日も皆様、ご参加くださいましてありがとうございました。
【由佳先生】
○今、世界的にも温暖化だとか、いろいろな災害が来るとか来ないとか、いろいろな話がありますけれども、改めて様々な天災の情報が来たり、あるいはそばで起きていたときに、そこに起きている大いなる浄めの働きと、その中で私達が取らせていただける神霊や神々様と一つになった『一と一体になった力』をもって働かせていただき、その光明を常に意識しながら世界情勢を見てゆきたいなということを、今日は改めて思わせていただきました。ありがとうございます。
【里香先生】
○私も本当にそう思いました。どんな状態でいかなる天変地異が起きたとしても、『老子講義』に書かれていることを思い出し、その状態は一瞬のお浄めとして、神々様が表わし消すために起こしてくださっている慈愛であり、本当にありがたいことだという感謝の心を根底にして、その愛の働きに手を合わせ、世界平和の祈りを祈り、神聖復活の印を組んでゆきたいと思いました。
○また、この世界を滅びさせずに神化させるために、神々様は常に私達に働きかけてくださっているということを、常に意識しながら生活をしてゆきたいなと改めて思いました。
【由佳先生】
○はい、ありがとうございます。次回の動画による祈りの会は、かなり期間が空いて、次回は6月の末、6月28日の土曜日になります。
○これから5月、そして6月の始めと、動画による祈りの会はありませんが、5月は18日にSOPPが開催されますし、6月は6月1日に『神聖の扉を開く行事』が行われますので、また皆様と共に、一緒にお祈りできる機会を楽しみにしております。
○皆様、本日も本当にありがとうございました。良い一日をお過ごしください。