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[ZoomLetter:01520] 【七ヶ国への祈りの日】のお祈りの仕方について

  

ご参加の皆さまへ

 

いつも【七ヶ国へのお祈り】にご参加くださり、誠に有り難うございます。

 

ここのところ、下記のような問い合わせが何人かの方々からありましたので、お問い合わせいただいていない方々の中にも同様のお気持ちをお持ちの方もあられるかも知れぬと思い、このメールを送ります。

 

◎「○○に宇宙神の光を送ります」とはどの口が言っているのでしょうか? (おこがましいのではないか?)

◎「○○は完全平和になりました」と祈っているが、現実はほど遠いのだから現実に即した祈り方をした方がよいのではないか?

◎『特定の国や地域へのお祈り』は、なぜその国を祈るのか、その理由を毎回、簡潔に説明してくれた方がお祈りに身が入ると思いますがいかがですか?

 

似たような質問や問い合わせは、実際のところ何年も前からありましたがそれは単発であり、そうした内容の連絡の数も少なかったため、個別にその都度お返事しておりました。

 

今回は、本質的に同じテーマに絡むお問い合わせを複数の方からいただいたため、全体への連絡として回答とさせていただきます。

 

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一つ目

◎「○○に宇宙神の光を送ります」とはどの口が言っているのでしょうか? (おこがましいのではないか?)

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これは、神聖復活を果たし肉体の心身に神を顕した神性人類の口が発する言葉です。(自他を肉体性の存在と捉える観点に立つと、自身をも二元対立の世界に貶めるため、このような祈り方は出来ません)

 

補足 また、もし今現在「私はまだ神聖復活を果たし得ていない」と思われる方がいらっしゃったとしても、この祈りをすることに問題はありません。なぜなら人類の本質はすべからく”神聖そのもの”であり、”宇宙を創造し運行している大いなる力”を深奥に秘めた存在、神の光の一筋一筋であられるからです。もしご自身の”神聖復活”にまだ自信がないと思われる方がおられましたら、次のようにお想いください。「こうした祈りは、私が”神性”を自覚し当然と思えるようになるための練習なんだなあ」

 

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二つ目

◎「○○は完全平和になりました」と祈っているが、現実はほど遠いのだから現実に即した祈り方をした方がよいのではないか?

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この祈り方は、神性復活を果たし得た私たちが観ている世界、心の在処が、『いのちの光の世界』『神界・天界』『生命の本質の世界』でありますがゆえに、”実は完全平和だったんだというただの事実”を宣言する形で言葉に表しているといえます。またこの祈り方は、『果因説に基づいた祈り方』でもあります。

 

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三つ目

◎『特定の国や地域へのお祈り』は、なぜその国を祈るのか、その理由を毎回、簡潔に説明してくれた方がお祈りに身が入ると思いますがいかがでしょうか?

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これにつきましては、”[ZoomLetter:01512] 【特定の国や地域へのお祈り】 夜の七ヶ国後の祈り変更のお知らせ”で次のようにお伝えしています。

・日本人メンバー中心の日は、【特定の国や地域への祈り】と題して、様々な問題を抱える国や地域をピックアップしてお祈りします。

・各国メンバー中心の日は、【母国への祈り】と題して、日本のZoom祈りの会に参加してくださる皆様の母国へのお祈りをいたします。

 

上記の説明がすべてなのですが、各国メンバーが主体となる日の【母国への祈り】は別として、【特定の国や地域への祈り】に関しては説明不足でありました。そのため、以下の項目に照らし合わせて該当する国や地域を私が選ばせていただいていることを補足として付け加えお伝えいたします。

 

そこの国や地域の

・自然界・生物界の不調和

・肉体心身の不調和

・科学の不調和

・人権や貧富の不調和

・教育の不調和

・政治の不調和

・経済の不調和

 

私たちは、上記の項目にあるような様々な不調和状態・状況下にあり、そこの人々や自然環境、生きとし生けるものがその本質である”大調和の様相を特に現わし得ていない国や地域”について、特にその波動圏に本質が現われやすくなるよう【存在の本質を認める意識】でお祈りしています。

 

この”本質を認める意識でのお祈り”というのは、前述の神性を認めた祈り方であり、神聖復活した意識での祈り、果因説での祈り方であるともいえます。

 

【七ヶ国への祈りの日】にご参加いただくうえで心に留めていただけると有り難いことは、私たちは枝葉末節な問題にフォーカスしてそれをよくするために祈っているのではなく、”自分を含めたすべての人類と大自然と生きとし生けるもの”に、その本質である【大調和の姿・様相・在り方】を截然と認識して、それを言葉に表し意宣(いの)り出しているということです。(朝の【地殻プレートへのお祈り】においても、不調和にフォーカスしてそれを是正するために祈っているのではなく、地殻の移動が本来の調和した在り方を表わすのをお手伝いさせていただくために、宇宙や星を生みなし運行している普遍なるいのちの源の光を送っています)

 

過去の習慣に流されたときに認識される”二元対立の世界”に想いを置いたときに感じる不調和な姿・様相・有り様と見える状態・状況というものは、大調和状態を取り戻すための超特別な光をお送りさせていただくきっかけ(消えてゆく姿)に過ぎません。(私たちが組む神聖復活の印で生じるエネルギーは、いのちの大元のエネルギーと私たちの肉体エネルギーをミックスして出来上がる超特別なエネルギーを放射し、それを神々が世界中の必要なところへ運んでくださり、人類の神聖復活を助けあらゆる自然や生物を大調和させる働きになっているといわれています)

 

また五井先生は、昭和三十年代の初め頃に、世界平和の祈りについて次のような趣旨のご説明をしてくださいました。

「世界平和の祈りというのは、宇宙神・大神のみ心を言葉に表した祈りであり、本来は「世界人類よ、平和であれ」という祈りです。しかし、生命の本質を忘れた肉体人間が「平和であれ」と祈るのはなんかシックリこないでしょ。だから「世界人類が平和でありますように」というお願い口調にして、地球の人たちが祈りやすい言葉にしたんです。」

 

また白光の一部の方々の間では、「平和であれ」と「平和でありますように」の中間のお祈りが行なわれています。

 

『我即神也』と『人類即神也』の真理を学び、自らの想念・言葉・行為に神性を顕しすべての存在に【神聖そのもの】を観て、人類即神也の宣言文にあるように「いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、又、人類の様々なる生き方、想念、行為に対しても、且つ又、小智才覚により神域を汚してしまっている発明発見に対してさえも、これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスとして、いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず。」と、枝葉末節である現象世界の動向の如何に想いをとどめず、ただひたすらすべての人類と自然、生物にその本質である【大調和の姿・様相・在り方】を認めて、五井先生がお話しくださったように、神の意を宣言する「意宣り」の心で祈り印を組むことこそが、今の私たちひとりひとりにとって意義ある大切なことではないでしょうか。

 

世界人類が平和でありますように

斉藤雅晴