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[ZoomLetter:01631] 10月15日(日)午前9時 『神聖を呼び覚ます日』

  

1015()午前9🖤『神聖を呼び覚ます日』

ご参加の皆様へ

【開始時刻】当日の朝8:55前後

Zoom URLhttps://us02web.zoom.us/j/6980729270?pwd=nW9HgFrjw71kpe38gTNS-rdtnvZ3Rw.1

YouTube URLhttps://zoom.peace51.net/youtube-url_jp/

※パスワード: peace

日曜日の朝は、イスラエルとパレスチナに特化したプログラムを行ないます。皆さまもニュースを通して、状況を目の当たりにされていると思いますが、そうしたニュースを見て、彼らの神聖を認めるべき私たちが感情的になってしまっては、ミイラ取りがミイラになってしまいますので、“何を見ても聞いても心が揺れ動かない”神聖の意識を一日中持続できる境地を目指しながら、神の光を放ってまいりたいと思います。

そのときに私たちが留意すべきことは、人間が無力だと思うのはけっこうですが、それは『本心と業想念の截然たる識別』が出来たうえで「肉体人間は凡夫なり」と見極めるのがよいということです。どういうことかと申しますと、無力なのは被造物としての肉体と、肉体にペッタリとくっついて離れようとしない個我想念(夢の中の念(おも)い)であり、私たちの本心・神聖の意識は無限の可能性を持っており、天命に適(かな)うことなれば決して不可能はないことを知っているということです。

また、「不可能はない。すべては思い通りになる」という真理を、『本心と業想念の截然たる識別』を身に修めていない状態で思おうとしますと、業想念が自我の想いを果たすべくうごめくことになってしまい、それも本末転倒だということになります。

そこは十二分に留意しなければならないところでして、本心を自覚して振る舞う練習が十分ではない段階で、「不可能はない」「なんでも思い通りになる」という信念を振りかざしますと、「自分が思う正義こそが正しいのであり、他は間違っているから正さなければならない」という世界中の二元対立論者と同じ穴の狢になってしまいます。

そのような想いでもって正された側には、必ず反発の想いが生じますので、私たちは自己の心を謙虚に見つめ、私たちの祈りや振る舞いが思い込みの押し付けにならないようにしてまいりたいと思います。そのためには、守護霊心を自己の心として生きるためのひたすらなる感謝一念の生活が大切です。そこに意識を置いて生きてさえいれば、私たちが道を踏み外すことはないからです。

そうしたことに留意したうえで、次の図を見てください。

カレンダー 自動的に生成された説明

この図を見ることで、1946年以降のパレスチナとイスラエルの領土面積の移り変わりを見ることが出来ます。イギリス委任統治時代には、パレスチナ94%、イスラエル6%でしたが、2012年には、パレスチナ8%、イスラエル92%となっており、現在では、パレスチナ6%、イスラエル94%と、1946年当時とまったく逆転してしまいました。

1946年時点の人口の面で見ますと、第二次世界大戦前の調査では、アラブ人700,000人、ユダヤ人56,000人でしたが、戦後すぐにヨーロッパからのユダヤ移民が何十万人もパレスチナの地に流入したことにより、人口比率の三分の二がアラブ人、三分の一がユダヤ人といわれていました。

そのような状況下で、国連がユダヤ人に有利な分割決議を採択したことにより、両民族の遺恨はさらに深まったといえます。その結果が現在の状況であります。それは人間智では如何ともしがたいものであり、私たちには、神聖の復活を促進する以外の手立てがありませんので、事態がどうなることがよいという側面は守護の神霊にお任せして、心を込めて神聖復活の印を組んでまいりたいと思います。

日曜日の朝はそのように、「こうなればいい」「どうなればよい」といった個人の願望は守護の神霊方や地球救済の神々さまに預けて、神々さまと共に働かせていただいていることに心からの感謝を捧げながら、イスラエルとパレスチナの人々の天命の完うを祈りつつ、私たちの肉体エネルギーを提供した超特別ないのちの光を放ってまいりたいと思います。

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― 当日のプログラム ―

1. 世界平和の祈り - 日本語と英語 (三分半の統一CDによる深い祈り)

2. ワンネスのメディテーション

3.各国・各地への祈り
当日はイスラエルとパレスチナの人々が神聖を思い出して、それぞれが天命を完うして生きられるように、彼の地の住人ひとりひとりに内在する神聖を当然視しながら、眠らせている神聖を呼び覚ますお祈りをしてまいります。

(1) 宇宙神の光を送る印 ➡ イスラエルの人々
イスラエルの人々に宇宙神の光を送ります。 
<神聖復活の印を一回>
<15
秒ほど時間を取ってお祈り>

(2) 宇宙神の光を送る印 ➡ パレスチナの人々
パレスチナの人々に宇宙神の光を送ります。
<神聖復活の印を一回>
<15
秒ほど時間を取ってお祈り>

(3) 宇宙神の光を送る印 ➡ イスラエルの指導者
イスラエルの指導者に宇宙神の光を送ります。
<神聖復活の印を一回>
<15
秒ほど時間を取ってお祈り>

(4) 宇宙神の光を送る印 ➡ ハマスの指導者
ハマスの指導者に宇宙神の光を送ります。
<神聖復活の印を一回>
<15
秒ほど時間を取ってお祈り>

(5) イスラエルとパレスチナの人々へのお祈り

宇宙神の愛がイスラエルとパレスチナの人々の心に広がりますように。
イスラエルとパレスチナの人々のすべての記憶が癒されますように。
イスラエルとパレスチナの人々の天命が完うされますように
イスラエルとパレスチナの人々の守護霊さま、守護神さま、ありがとうございます。

(6) 神聖復活成就の印 ➡ イスラエルとパレスチナの人々
イスラエルとパレスチナの人々の神聖復活、大成就。
<神聖復活の印を一回>
<15
秒ほど時間を取ってお祈り>

(7) イスラエルとパレスチナの人々の天命完うのお祈り

世界人類が平和でありますように。
イスラエルとパレスチナの人々の天命が完うされますように。
イスラエルとパレスチナの人々の守護霊様・守護神様、ありがとうございます。

(8) 地球への感謝

地球さんありがとうございます。私たちは地球さんの体の表面をお借りすることで生きてゆくことができています。それなのに我が物顔で振る舞い地球さんを蹂躙(じゅうりん)してきた人類の愚かなる振る舞いをどうかお赦しください。神聖を思い出した私たち自身に神の想念・言葉・行為を顕すことを通して必ず全人類の神聖を呼び覚ましてまいります。世界人類が平和でありますように。

(9) 宇宙神の癒しの光 ➡ 地球
地球に宇宙神の癒しの光を送ります。
<神聖復活の印を一回>
<15
秒ほど時間を取ってお祈り>

4.世界平和の祈り - 日本語と英語 (三分半の統一CDによる深い祈り)

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以上

 

世界人類が平和でありますように
斉藤雅晴

  

参考資料『人間の責任』 五井昌久

暁け方まで降っていた雨が止んで、新緑に残された幾粒もの水滴が、五月の陽光と快く調和し、銀色に光り、金色に輝き紫色の光を放つ。

天界の美の片鱗(へんりん)が庭先にうつし出されている朝のひととき、私の心は天地の恩寵(おんちょう)を感じつつ和やかに佇む。

こうした小さな水滴の中にさえひそんでいる自然の美しさ、そしてそれを感じる人間の美意識。

天と地と陽光(ひかり)と風と、雨と草木(くさき)と人間と、このようなすべての存在の中で、人間のみは美を感じ、醜(しゅう)を感ずる側にあり、その他のすべては、人間に美醜を感じさせる側にある。

いかに自然が美しくあろうとも、観る側の人間が存在しなければその美は成り立たない。

自然は観られるそのままに存在し、人間は観るも観ざるも己れの自由に任されたる存在として生きている。

そして人間同士お互いの存在を観、聴き、その美醜、善悪を選択する自由をもっている。

この宇宙世界を創造した絶対者は、果たして重点を観る側(人間)と、観られる側(自然)とのどちらに置いたのであろうか。

私は観る側(人間)に重点をかれたものと考える。

何故なれば、観るということは、観る力が中に存在しなければ、観るという能力は生まれてこない。

観るということは意志と感覚との共同作業である。

観られる側にはそれがない。

絶対者()は観る力となって人間の内部に存在し、自己の創造した自然をみつめている。

そして、観られる側(自然)に働きかけている創造活動のひびきと、人間の内部における観る力、いのちのひびきとの調和によって生まれる美観を愉しんでいるものと思われる。

この考えをもう一歩進めていくと、人間のためにすべての自然が存在するということになってくる。

それほど重大な人間という存在が、真実の美意識を失いかけている。

自然の中から美を見失い、最も共通なひびきをもっている人間お互い同士の間から神の理念(おもい)とは全く反対な憎しみと闘争という、生命(いのち)を削る醜悪なる事態を現出させつづけてきた。

そして、それが恐怖を生み、悲しみを生み、今将(まさ)に自然そのものを崩壊させようとしている。

私たちはここで改めて神の理念を思い起こさなければならない。

美であり、大調和である神の大生命的存在を、そして大生命の分霊(わけみたま)である自分たちを、生命は調和の中に生き、不調和の中では死ぬのである。

己れの生命を生かすものは誰か、己れの生命を損なうものは誰か―

私は自己の生命を生かしきる人の一人でも多からんことを祈る者である。