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[ZoomLetter:01743] 5月11日(土) 午後8時50分から 『神聖で繋がり合う日』

  

511()午後850分から 『神聖で繋がり合う日』

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 何があっても左右されることのない本当の幸せとは、どのような状態でしょうか?それがこの世に限定されたものではないこと、物質的な充足のみではないことは、きっと誰もの頷かれるところだと思います。

 しかし、その先にある答え、精神性における具体的な幸福像、その状態のイメージが漠然としていてわからないというお話を伺うたびに、私は“言(ことば)の枝葉である言葉(ことのは)”で理解を共有することの難しさを感じています。

 例えてみますとそれは、「ほら、太陽はあそこですよ」と指差し示されても、太陽を見ずに指し示した指を見る(言葉に把われる)ケースが多いからだといえます。それは、昔の私達を振り返ってみればよくわかります。

 自分自身を不完全なものと信じ込んでいた頃には、「人間の生命は本来、完全円満なものであって不完全な存在ではないんだよ」という真理を、どんなに見聞しても、どんなに他人に説明されても、自分自身に対する認識とその真理があまりにもかけ離れていて、「そんなわけない」「そうであるならば、私たちはこんなにも苦しまないはず」といった葛藤が生じていました。

 そうした精神状態は、言葉尻に引っ掛かって本質を掴めないでいた状態であり、指し示された方向を見る行動を起こさないで、指し示された指を見つめるにとどまっていた状態だといえます。では、私達はどのようにして、自他の神聖を認められる現在の意識に至ったのでしょうか?

 そこに、冒頭の『何があっても左右されることのない本当の幸せ』の状態を言語化する鍵があります。一言で云えば、神聖復活した意識で生きている精神状態です。もっと端的に表現すれば、どんな“こと”や“もの”や“ひと”に対しても、「有り難いなあ」と心底から感じている状態であります。

 またそれは、すべての批判・非難・評価の把われ(思い込み・こだわり・決め付け・執着)を手放した状態だともいえます。では、私達はどのような道を通って、批判・非難・評価の把われを手放してきたのでしょうか?

 その道のりは、神聖復活するに至った人の数だけあると存じますが、私自身を振り返りますと、祈りや印といった“他の人と共同で行える真理の行為”以外に、自分自身を育てる行為として、日常における徹底した全感謝行(何ごと何ものにも感謝し続ける取り組み)と、光明の言葉のアウトプットとインプット(他の想念が入り込む隙間がない状態で、光・真理・神聖の言を唱え続ける行為)を行ない続けたことでした。

 それによって気が付かないうちに、自己認識の軸が神聖そのものに成り変わり、それに伴って五感に感じる他の存在の神聖を当り前のように観ることが出来るようになっていったのだと思います。

 土曜日の夜は、すでに本当の幸せを実感しておられる方々と、もう少しでそうなる方々が一堂に集い、お互いが互いのラダーとなって、神聖の極みに引き上げ合う日にいたします。

【当日のプログラム】

1.世界平和の祈り - 日本語と英語

2.内なる分断を統合させて神聖の視座を取り戻す時間

3神聖復活の印 7回連続×321
 神聖復活の印を組んでいる間は、地球の映像を表示します。
FAXでのご参加、または時間を合わせてご参加くださる方は、公転しながら自転する地球を大気圏の外から心眼で俯瞰している気持ちで神聖復活の印をお組みください)
 <一回目の宣言>
私達はすべての自然と一つに結ばれています。
すべての自然の天命は完うされています。

<二回目の宣言>
私達はすべての生物と一つに結ばれています。
すべての生物の天命は完うされています。

<三回目の宣言>
私達はすべての人類と一つに結ばれています。
世界人類の天命は完うされています。

以上

世界人類が平和でありますように
斉藤雅晴