「神人」第10号(2004年6月)より
一、わたしに免じて……
昭和三十二、三年のことである。
夫と二人で、五井先生のところに伺った。
いつものようにお浄めをいただいたあと、彼は思いきったように申し上げた。
「先生、私はどうも女難の相がありまして……」
先生は笑いながら、フムフムとうなずかれた。
前生の修行の反動とかで、彼はどうも女の人に弱いところがあった。(本人の承諾がすでにあるので、敢えて書きます)
「いま、いくつ?」と、先生がお訊きになった。
「はい、三十六歳です」
「あゝ、それじゃもういいや。消してしまおう」
パンパンパンパンパン、とたくさんの柏手で浄めて下さって、「ハイ、おめでとう……」というわけで、これで彼の云う"女難"は九分通り消え去ったのである。
私にとって本当にありがたい日であった。
それ以来というものは、宴会などに出ても一向に、女性が近づいて来ないから、さびしいくらいだと、彼は、五井先生のお浄めのすごさに感動していた。
「イヤーァ、お浄め受けるのがチト早すぎたかな?」などと冗談云っては、私にニラまれていたのである。
それから後に、もう一度だけ、女性に関する疑わしい問題が起こった。あとに残るイザコザは何もなかったけれど、彼はまた、先生にご報告して、お詫びした。(そういう隠しだてのないところが、彼のよさだと、私は思っております)
その時の先生のお言葉、それは私にとって、一生忘れてはならないお言葉であった。
先生は、私に向って、にこやかに、「わたしに免じて、赦してやって下さい」とおっしゃったのである。
とっさに、私は深い意味がわからず、「ハイ」と答えて、"先生に免じて、でなくても、私はもう許してるんですけど"と、心の中で思っていた。
ところが、そんな問題ではないのだと、三年くらいたってから、気がついた。
実は、赦されたのは夫ではなく、私だったのではないか、と気づいたのである。
多分、夫の浮気に悩まなければならない業を、持っていた私だったろうが、「五井先生に免じて」、つまり"五井先生のみ名を通して"、"五井先生の愛と赦しの光によって"、私自身が赦された、救われたのは私だった、と思い至ったとき、ハッとした。
五井先生には直接、お礼を申し上げなかったけれど、心の中で、おくればせながら、五井先生に深く深く、感謝申し上げたのであった。
今、思えば、赦されたということは、私の本心と私の肉体世界との流れを阻んでいた、何ものかが取り除かれた、ということなのだろう。
二、今だからよかった
ある日、新田道場へ、Aさんといっしょに行った。Aさんはその頃、気難しい、病気のお姑さんのお世話で悩んでいた。
日常生活に疲れ果てていたAさんは、ついに五井先生に申し上げた。
「先生、私は申しわけないと思っても、どうしても姑のことが嫌いで、いやでたまらないんです」
それをお聞きになった先生は、即座に、「私だって嫌いな人あるんだよ」とおっしゃって、にっこりとされた。
Aさんは何だか、ホッと解放されたようで、気分が楽になった。
それから数ヶ月たって、Aさんがお浄めを受けたときに、「今ね、あなたが苦労していることは、結局、娘たちのためになるのですよ。娘たちが結婚してから苦しまなくて済むからね」と励まして下さった。
それからまた、お姑さんが亡くなる少し前になって、先生は、「あなたは前生で、ずいぶん借りがあったからね」と、さり気なく本当のことをおっしゃった。
あとで、Aさんはつくづくと云っていた。
「先生に初めから"前生の借りの分だ"と云われていたら、あのときの私はきっと、ペシャンコになっていたと思う。本当に今だからよかったのよ」
五井先生の慈愛あふれるご指導を、また見せていただいたのであった。