「神人」第11号(2004年7月)より
(1)
「人間は感情想念を超えることだけに、一生をかけても決して惜しくはない。特に女性はネ」とおっしゃった。
私はこの頃(昭和31年)から、先生のおっしゃる通りに"消えてゆく姿で世界平和の祈り"の生き方を、一生涯つづけてゆこう、と決心しはじめた。
(2)
「人間は、神界、霊界、幽界、肉体界を通して、神さまの光が流れてきている存在、と伺っていますが、一筋の光で神体、霊体、幽体、肉体と区別されるのは、どういうような状態なのでしょうか?」
と質問したとき、先生は、ご自分の眼鏡を出して、少し動かして見せながら説明してくださった。
「ほらネ、この眼鏡を考えるとよくわかるでしょ。同じ光がレンズの角度で違ったものに見えるでしょ。それと同じです」
先生の眼鏡はかなり度が強くて、傾けて動かしてくださると、光の屈折の具合がよくわかった。私たちは肉体界に居ても、神界から真直ぐな光の一条が、中断することなく、ここに届いていることを確信した。
(3)
五井先生のお母さまのご逝去のあと、先生がそのご昇天の様子を、じきじきにお話しくださった。
「……どこまでもどこまでも高く昇ってね、マリヤ様と同じか、いやそれ以上に高いところだった。
まじめで、正直で、律義なだけのただのおばあちゃんだったけどね、今ごろびっくりしているかもしれないよ」と、楽しそうにおっしゃった。
私は思わず質問した。
「お母さまは、そんなに高いところへ急にいらっしゃっても、戸惑ったりはなさらないのですか?」
先生は笑いながらお答えになった。
「人間はね、誰でも汚れさえ落とせば、もともとはみな神なんだから、光り輝いているんだからね、大丈夫です」
考えれば、私もずいぶん失礼なことを申し上げたものです。(平身低頭)
(4)
お浄めのお部屋に入ったとたん、いい香りの漂っていた日があった。
やや強烈な香の花があるのか、と思ったが、それらしいものはない。香水をふりかけていそうな人は見当たらない。
まさか、五井先生が女性の香水をおつけになるわけがない。
「何だろう?」と思いつつ、その場を辞した。
そのあとで、お浄めを受けに行った人が、「あら先生いやだ、女の人の香水なんかつけちゃって!」と申し上げたそうである。
そうしたら、「これはね、霊界の香りなんだよ」というお応えだったよし。
その日は一日中、芳香がただよっていたという。
それはお香とは全く違ったもの、ほのかな淡い香りというのでもなく、はっきりと強く花の香りに似たものであった。
(5)
ある日、私は激しく咳きこんで、五井先生の前に出た。
お浄めのとき、五井先生は合掌しておっしゃった。
「ありがたいねエ、年をとってから咳が出るのはつらいからね、今のうちに消してくださるんだ、有難うございます」
なんと、五井先生は私の代りに、私の守護霊さまに感謝を捧げてくださったのであった。
私の咳は二十四歳から始まった。
そのきっかけとなったのは、夫のもとへ遊びに見えたお酒の客が、徹夜で飲まれ、そのおもてなしで、ひいていた風邪をこじらせたことから、咳が止まらなくなった一件であった。
それ以来、忠実に毎年、一年の半分を咳とともに暮すことになった。
そのまっ最中の頃の話だったのである。
「本当にありがとうございます」と云う私に、先生は一言つけ加えてくださった。
「咳が出ることが有難いんじゃないよ。咳が出ることによって業が出て、中がきれいになることが有難いんだよ」と。
これは、前生熱心なクリスチャンであったという私の傾向が、ともすれば受難礼賛におちいりかねない、とお思いになってのお諭しであったのだろう。私はこのお言葉をしっかりと受けとめさせていただいた。
後日談となるが、この咳は私の七十一歳までつづいた。少し軽い年と、かなり激しい年とかはあったが、咳と縁切れになることはなかった。
それでいて、健康診断のときにひっかかったことが一度もないのは、不思議なくらいである。五十年近くつき合った咳との暮らしも、ついに終りを告げることになった。
ちょうどこちら(富士ヶ嶺)へ移る半年ほど前から、風邪をひいても咳があまり出なくなった。
咳の出ない風邪は、なんと楽なものかと驚いたほどである。
私は今、咳のない冬を有難く、楽しませていただいている。