五井先生随聞記(3)_山崎多嘉子さん

「神人」第12号(2004年8月)より

(6)

「"自分は偉くなった"とか"われこそは"とか、想念にくるのは自惚うぬぼれだね。

自信というのは想いではなく、自分の中から、何だか知らないが、ひたひたと力強いものが湧き上ってくる……そういうものが自信なのです」

(7)

「先生、地球が本当に平和になったら、そのあとはどういう状態になるのですか?」

ある日、お伺いしてみた。

「そうね、今のような国境というものがなくなって、人類はみな一つになります。そして地球全体が一つになって、神格の人による神権政治が行なわれる。今のような多数決ではない。一人一人の生き方もまるで変ってきます。

言葉なんかも、いずれ、今のような言葉の使い方ではなく、言葉というよりひびきだね。たとえば音楽のようにひびきが通じあいます」

「それから先はどうなるのですか?」

「いろんな他の天体とも、自由に行き来ができるね」

まだ何かいいたげな私に、先生は「もういいでしょ」とおっしゃった。

「はい」と答えて、私は心の中で"そうでした。これから先は、全くの興味本位の私の発言です。すみません"と思っていた。

(8)

「人間は星と同じ、とうかがいましたけれど、あまりよくわかりません」と申上げたことがあった。

「アハハ……まだわからないよね。人間はこんな小さな肉体だけじゃない、ってことはわかるでしょ?」

と先生はおっしゃった。

「はい」

「人間は、本当は神から分けられた光でしょ。星もそうなんです。だから一般社会でも、大人物が亡くなると"巨星つ"なんて言いますね。一人ずつが星なんですよ。一人一人は地球と同じようなもんなんです」

「ヘェッ、地球と?」

「ハハハハ……いずれわかるからね」と面白そうにお笑いになった。

(9)

私は、五井先生のみ教えにつながってからは、この道ひとすじと信じ、自信をもっているつもりであった。

それなのに、クラス会など大勢の集まりに出席すると、自信がゆらぐわけでもないのに、「何故祈らなければならない?」「祈っていない人も充分幸福そうなのに、一体、どこが違うというの?」等々の想いがチラつくのである。

そういう自分が不愉快でたまらなかった。

そんな日の翌日、私は五井先生のところへとんでゆく。

「先生、きのうは私、なんだか信仰心が変ったとは思わないのですが、ちょっとグラッとしました」と正直に申上げた。

先生はニコッとして、「みんなそうなんだよ。あの長老たちだってグラッとするんだから、グラッとしないのは私だけ」とおっしゃってお浄めして下さった。

(10)

「物ごとをしようとするとき、これは本心の意志か? 業想念ののぞみか? と考えると、わからなくなることがありますが、何によって判断すればよろしいのでしょうか?」

とうかがってみた。

五井先生は、ひょいと、ご自分の着物のそで口からお手を引っこめたり、また出したりしながらおっしゃった。

「ほらね、これみたいに、業想念を上からかぶっている時でも、中には、ちゃんと本心がある。だから両方が全く別にあるものではなく、本心そのものか、本心の表面に業想念を被っているか、の違いだけです」

(11)

「五井先生のみ教えが、なんとか、頭ではわかるようになったと思います」

とある日、申上げた。

いつものように、やさしくうなずいて「よかったね」とおっしゃってくださるかと思ったらとんでもない。

「頭でなんてわかったって何にもなりやしない。体でわからなければ。体ではっきりと体得しなければ……」

と、きびしいお言葉が返って来た。

このお言葉が、私の一生を左右する大きな指針であったことを、今、心から感謝申し上げている。

(12)

「バカならバカのまま、グスならグスのまま、そのままでいいから、それをさらけ出して、そして、それを一つずつえてゆけばよい」