五井先生随聞記(7)_山崎多嘉子さん

「神人」第16号(2004年12月)より

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五井先生はあるときおっしゃった。

「悟りには漸得ぜんとくの悟りと頓得とんとくの悟りと、二通りあってネ、いっこう進歩なく、泥沼の中を這いまわるような心境でいた人が、何か大きな出来事に直面すると、それをきっかけにして、急に目が覚めたように悟りを開くことがある。

一気に数段をとび上るような悟り方、これを頓得の悟りというんです。

漸得の悟りというのはネ、一つ一つ体験して行って、小さな悟りをたくさん積み重ねて、やがて大きな真の悟り(大悟)に至る、というものです。

あなたの場合は漸得の悟りだね、一つずつ悟って行きます」

私は「ハイ」とお答えしたものの、内心はちょっとつまらない気がした。

「頓得の方がドラマチックでいいのにな」と思ってしまったのである。

ところが、今になってつくづく思う。

"とんでもないこと、私は漸得の悟りのタイプでよかったな"と。そして五井先生のお写真に向って、「五井先生、私には漸得の悟りでも、ここまでくるのにさえ充分すぎるほどドラマチックでした」と申し上げているのである。

一つ一つの体験が、私の魂にとって、いかに尊いことか、またそれらを精一杯のりこえた時のよろこびが、いかに大きいものか、身にしみて感じている。

このよろこびは、何ものにも代えられない深い幸福感、充足感といえるものであると思う。

"これからも、私はまっすぐに、この道を進んで行こう、あの世とこの世の境目なく、ひたすら真直ぐに、ゆったりと進ませていただこう"と、よろこびと感謝とともに、心深く思っている。

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ある寒い夜のこと。

「今から先生がお帰りになります。お車お願いします」といつものように聖ヶ丘から、土肥さんがお使いとして走って来られた。私はすぐタクシー会社に電話してから、手近かにあったコートをひっかけて外へと出た。外は思ったより風が強くて冷えこみの激しい晩だった。

林の入り口で、五井先生のご一行をお待ちして、姑と私は立っていた。

近くの家々の窓からは、温かそうな灯りが洩れていた。きっと夕食後の団らんのときなのだろうと、ほほえましく眺めていたが、っているだけで、コートを通して寒さが肌につきささるし、ポケットに人れた両手がこごえそうになってくるのであった。

タクシーが到着しても、五井先生ご一行のお姿はなかった。そのうち、みぞれまじりの雨まで降りはじめたのである。

十分ほども経った頃だろうか、ようやく、林の向うに小さな懐中電灯の灯が見えて、やがてそれが揺れながら近づいてきた。

五井先生は、息づかいもただならぬ当時の昌美先生を抱えるようにして、坂道をゆっくりゆっくり、上っていらっしゃった。

世の人々が何も知らず、温かく過しているであろうこの寒い晩に、世界を救う大神業に立たれる五井先生と昌美先生が、こういうお姿で雨の中をお歩きになって……と思うと、私は胸がいっぱいになった。

五井先生は「疲労困憊こんぱい」とおっしゃって、それでも私たちに笑顔で会釈なさり、車にお乗りになった。遠去ってゆくお車の赤いテールランプが涙でかすんでしまった。

この光景を目のあたりにしたのは、今ではもう私だけになっている。(あとの方々はもうこの世におられない)

私はこの晩のことを、必ず後の人々にお話しよう、五井先生方のお姿をお伝えしなければならない、と、この時、固く心に決めたのだった。

土肥さん:会の職員。聖ヶ丘道場のすぐそばに住んでいた。