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[Zoom祈りの会メルマガ: 000210] 2025年2月22日(土) 動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生

[Zoom祈りの会メルマガ: 000210] 2025年2月22日(土) 動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生

Zoom祈りの会メルマガをお読みの皆さまへ

いつもご参加くださりありがとうございます。
2月22日(土)の『動画による祈りの会』の書き起こしレポートを送ります。


250222_動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生

【由佳先生】
○皆様、おはようございます。2月22日の動画による祈りの会にご参加くださいまして、まことにありがとうございます。2025年もあっという間で、もう2月も終わりそうな勢いですけれども、実際に、いろいろな新たなご縁、発展、広がりを日々、2025年に入り、私自身、実感させていただいております。

○改めて昌美先生がおっしゃってくださった「2025年に富士聖地から」という展開へ向けて、色々と広がっているように感じております。本日もどうぞよろしくお願いいたします。

【真妃先生】
○皆様、こんにちは。今日も動画による祈りの会にご参加いただきましてありがとうございます。由佳先生がおっしゃるように、毎日のようにいろいろな方々からメールを頂いたり、他の方からのご紹介で新しい方からご連絡を頂いたりなどしていて、昌美先生が「2025年から白光、日本発で、本当に神聖な世界が創られてゆくのだ」とおっしゃっていましたが、こんなにスピード感をもって変化が起きていることに、私自身もすごく驚いておりますし、本当にこの新しい流れについてゆくことに必死になっている感じが、今、自分の中にあります。

○しかし同時に、私がありがたいなと思うのは、「2025年から変わるよ」と言われているなかで、「自分たちが変わってゆくことで、世界をより大きく変えてゆくのだ」という(小我の)視点から、「もう変わってゆく世界はすでに出来上がっているのだ。私たちはただそれを受け取り、「もう変わったのだ」という意識で向き合ってゆけばよい」という(大我の)視点に視座を移し、守護霊様・守護神様・五井先生にお任せして生きればよいと思えることです。

○それによって、私たち自身は、「新しいことをしなくちゃいけない」とか、「自分が積極的に変わっていかなきゃいけないんだ」ではなく、この大いなる流れを信じ、その流れに対して拒絶感や拒否感を抱かず、悲観的とか否定的な想いを持つでもなく、「これでいいんだろうか」という気持ちを手放し、変わってゆくその大いなる流れのなかに、「すべてこの流れが、私たちを最善の道に繋げてくれているのだ」という気持ちで全託をするだけでよい、ということであります。

○そのように、全託の気持ちを深めて(守護霊様・守護神様・救世の大光明・宇宙天使群・五井先生との一体感を深めて)ゆくことが、「2025年から変わっていくよ」といわれている世界にあって、私たちがそうした流れとともに歩むための、とても大切な鍵なのだな、というふうに思っております。

○2025年に至るまでの間に、私たち会員は、たくさんの準備をしてきました。「自分は神聖なのだ」「世界は神聖なのだ」「人は神聖なのだ」「守護霊様・守護神様に守っていただいているのだ」という、そういう(大確信の)意識を持つことによって、全託ということがどういうことなのかを身をもって理解し、実際に全託することができるようになります。

○私たちはそのように、すべての準備が調っているからこそ、この新しい流れが生まれてきているのです。

○会の皆様方も、「何か必死になって新しいことをしなきゃいけないんじゃないか」「もっともっとこの流れに合わせて、新しく活動していかなきゃいけないんじゃないか」「もっとたくさん印を組まなきゃいけないんじゃないか」ではなくて、もうその意識レベルに私たちが到達していることに確信を持つならば、もうその後は、やってくるものに対して大いなる感謝と導きを感じながら、そこに乗ってゆくだけです。

○その流れと共に生きることにより、私たちは本当に歩むべき道を、守護霊様・守護神様・五井先生(救世の大光明や宇宙天使群)と共に歩むことができます。

○ですから、私たちは未来に対して、なんら一切の不安や恐怖を持つ必要もなく、「どんな世界を皆様と共に共同創造することができるのだろうか」というワクワク感と、その大きな変革の中に身を置ける光栄への深い感謝をただただ持ちながら、日々過ごさせていただいています。

○今日も皆様と共に、お祈りできること、お祈りで繋がれること、一つになれることを、とても楽しみにしております。今日もご参加いただきまして、ありがとうございます。

【里香先生】
○皆様、おはようございます。前回は、真妃先生がお一人で動画による祈りの会を届けてくださいました。私はあの日の動画を見た時に、『言ことばと言葉』のお話がすごく印象的でした。そして、あれから2週間があっという間に経ちました。

○私たちは、オリジナルのことば、言葉になる以前の言葉、「葉」が付いていない『言ことば』をすでに使っています。それは、「世界人類が平和でありますように」という祈りのひびきです。

〇私たちは、世界平和の祈りをとおして、神のみ心のひびきそのものの光を放って生きているのです。私たちは、神界の(大元の)宇宙神から発せられた祈りの言ことばを、そのままストレートにこの世界に放って生きているのです。ですから、この祈りが『言ことば』なのです。

○「よげんしゃ(預言者と予言者)」という言葉には二種類の書き方があります。言ことばを預かる者と書いて預言者……、私たちは、その『預言者』でもあります。ものすごく高い神の世界から降りてきている祈りの言ことばを預かり、地上に輝かしい未来を創造してゆく預言者です。

○そのような言ことばを預かる者としての立場と働きをもって、私たちは世界平和の祈りを祈り、神聖復活の印を組んでいるのです。神聖復活の印も、ものすごく高いところから降りてきた印です。

○ですから、前回の動画による祈りの会に(後から)参加した時に、コミュニケーション用の言葉ではなく、言の葉になる以前の奥の世界のひびきに触れ続け、そこにドップリと触れている白光の会員のお一人お一人は、「どうにかしなければいけない」「何かもっとやらなければいけない」ではなく、真理・神聖・光のひびきである言ことばを純粋に響かせられる器なのです。

○言ことばのひびきに、枝葉の感情想念を何ら一切乗せることなく、神の光そのままのひびきを放つことで、私たちは「何をやらなきゃいけない」と思うことなく、おのずとその働きを成せる祈り人、預言者として、存在しているのです。

○また今日は、皆様方に大切なお知らせもございます。来月3月4日に『ホーム・フォー・ヒューマニティ』というグループが富士聖地に来られます。白光誌にも載せましたが、今スライドをお見せします。白光誌2月号でご覧になったと思いますが、『ホーム・フォー・ヒューマニティ』と白光が共催するイベントを行ないます。

○3月4日は火曜日で、平日になりますので、もしかしたらご参加になれない方もおられるかもしれませんが、ラマ・マニ博士とアレクサンダー・シーファー教授がご夫妻で来られます。簡単にご紹介させていただきます。

○この方々は純粋に、世界がひとつの家族であるという価値観の元に活動されておられる方々です。昨年の2024年10月から2030年にかけて、この7年間で7大陸、7世代先のために世界195か国を廻られています。(動画の会では「193ヶ国」とおっしゃいましたが、ホーム・フォー・ヒューマニティの英語版ホームページでは、195ヶ国と紹介されています。https://www.homeforhumanity.earth/)

○それで、何がすごいかというと、彼らは、195か国を廻られる中で、ホテルに泊まるわけでもなく、その国の地元の方々と交流して、その国の方々の話を聞いて、地べたに足を完全につけた状態で心を開き、耳をすまして交流されながら、世界を廻られていることです。

○3月2日に日本に来日されて、3月4日に富士聖地で一緒に祈りのイベントを行ないます。皆様も、この方々の純粋な魂に触れていただければわかると思いますが、私たちとまったく同じで、違いはありません。そういう方々がいらっしゃいます。

○彼らは、ピースポールにも共鳴しておられ、どこへ行くのにもピースポールを必ず持ち歩かれています。お写真を見せますね。(ピースポールを使った交流をされているスライドが表示される)その国その国の方々と話す時も、ピースポールを中心に置いて、輪を作って、平和について話していらっしゃるのです。

○このピースポールは、どこへ行っても本当に大事にされていて、彼らはピースポールとともに、この巡礼を行なってくださっています。また、ボランティアの方々が作ってくださるピースドールや、小さなピースポールもその国に行ったらお分けされているそうです。

○また彼らは、このピースポールがどういう働きをしているのかということも、ものすごく深く理解され、表面的なところではなく、深い深い天地と結ぶ役割をしているというところまで、各地でお話してくださっていて、まったく私たちとひとつに溶け合った活動をされています。

○そのような方々が、3月4日に富士聖地にいらっしゃいます。お時間がある方は、ぜひこの機会に、富士聖地にお越しください。今回の会場は野外会場ではなく、本館前広場になります。あの本館前のベンチがある所ですね。あそこに、みんなで座ってお祈りをしたり、彼らの話を聞いたりする機会を設けます。

○行かれないと思われる方もご安心ください。今回は配信をいたします。ですから、配信で繋がることも可能です。ですから、富士聖地へ行くことがご無理な方でも、配信を通してその様子に触れることができますので、直接お越しくださっても、配信でご参加頂いても、どちらでも構いません。ご一緒に、「世界はひとつであること」をイメージしながら、皆様とお祈りをしてゆきたいと思いますので、ぜひぜひご参加いただければと思います。

○はい、長くなりました。失礼いたしました。それでは、お祈りをしてまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

<世界平和の祈り>

【由佳先生】
○皆様、ありがとうございました。真妃先生と里香先生の冒頭のお話にインスパイアされたせいなのか、今お祈りの中で映像が見えました。

○それは、白光の道をまっすぐに歩む私たちひとりひとりが、その道にいるんですけど、私たちは人類の輝かしい未来が観えている道に立っており、未来が観えない中で必死に「平和を作らなきゃ」と作業している人たちではなかった、という映像です。

○その映像の中で、後ろを振り返りましたら、私たちが歩んできた道の後ろに、たくさんの愛と平和の光がキラキラとひびき渡っている道になっていました。

○「なぜ、私たちの歩んできた道には、平和と愛が溢れているのだろう?」と思って観た時に、私たちは今この瞬間、道を歩んでいるこの瞬間に、たとえ目の前にどんな出来事や現象や、時に悲しみや苦しみや寂しさ、恐れなどを感じても、私たちはいつもいつも世界平和の祈りを祈り、自らの神聖をその場その瞬間に輝かせてお祈りをしているからだ、とわかりました。

○それは、その瞬間(疑問に思った瞬間)に見えたのです。例えば、どんなことがあっても、私たちがお祈りしているときには、本当にひとりひとりがまっすぐ天の光と繋がっていて、その光が凝縮されるたびに、私たちの目の前にある道の先にポーンポーンと、平和の種やたくさんのご縁が植えられているのです。

○私たちは日々、自分の歩む道の道中である今この瞬間に、たとえ色々な課題やチャレンジがあったとしても、いつもどの瞬間でも、私たち自身の神聖を輝かせ、世界人類の平和を祈り続けております。

○私たちは、そういう道を歩んでいるからこそ、振り返れば、そこには平和と愛が溢れているし、気付けばたくさんの愛の種が私たちの歩む道の先にすでに植えられています。

○その種は、私たちが今すぐに、一生懸命に植えなければいけないものではありません。私たちは、常に大いなるもの、神々様とともに歩む生き方、在り方をしてきました。

○そのように、私たち自身が言ことばとしての祈りのひびきを発信し続けてきたからこそ、たくさんの種が私たちが歩む前の道(未来)に植えられて来ていたのです。

○それが10年でも、20年でもなく、30年、40年、50年、60年、70年分の種が、私たちの前(未来)にいっぱい植えられているのです。

○お花であれ木であれ、どんな植物でもそうですけれど、すぐに芽吹くものもあれば、10年後、20年後の未来のために植えられた種もあります。

○そして、それを植え続けてきた会員の皆様、そして、法友神の方々がいらっしゃったからこそ、今、私たちが2025年になり、急に生き方を変えることなく、これまでの生き方をさらに輝かせてゆくだけでよいといった『有り難い道』が用意されていたのです。

○これからの私たちが歩む道、2025年以降の道の先には、今を生きるたくさんの会員の皆様、また、あちらの世界から応援してくださっているたくさんの法友神が、ご自身の人生の中で、ご自身がこの道を歩んできた瞬間瞬間に、その場で世界の平和を祈り続けてこられたからこそ、その恩恵が2025年以降、どんどんどんどん芽吹いてゆきます。

○と同時に、私たちもまた、今この瞬間の一歩一歩を歩む時に、この白光の道を歩む中で、私たちの次の世代、次の次の世代が、もっともっと美しい可能性、未来、平和、愛を受け取れるように、光の種を蒔きながら歩いているからこそ、蒔いた種が実り、花咲くときが来ます。

○ですから、真妃先生がおっしゃってくださったように、「自分たちが今から何かをしなければ」ではなく、私たちがこの道を歩みながら、自らを磨き高め上げ、意識を深めてゆくだけで、私たちが通った後には、愛と平和の道が出来ていますし、その未来には、多くの方々の植えた種が待っています。

○それをずっと絶やさずに、私たちもまた、次の世代が同じようにその道を歩む時に、「あ、こんなご縁をいただいた」「あ、こんなにすごい仲間がいたんだ」と思われるような、たくさんの光の種を蒔いてゆきたいと思います。

○毎日毎日、一瞬一瞬、目の前にどんな現象が現われ、どんな情報が入ってこようとも、ひたすら世界の平和を祈り、ひとりひとりの神聖を見続けてゆく事が、この道を歩むことであります。

○長くなりましたが、そのことを強く感じたため、お伝えせずにはいられませんでした。では、本日のメインテーマに入ります。

○本日は五井先生のご法話テープを、皆様とともに聴聞してまいります。そしてその後に、私たちの方から、五井先生のご法話を聞いたうえで抱いた感想を、一言ずつ言わせていただきます。

○皆様もぜひご自身の中で、今日このテープを聞いて何を感じられたかを振り返ってみてください。もしかしたら昨日だったら違う感想かもしれない。明日も違うかもしれない。でも今日はどの部分に自分自身が惹かれ、どの真理の言ことばを大事にしたいと思われたか。そういうことを意識しながら、お話を伺い、お祈りしてゆきたいと思います。

○そして今日は、改めて私たちが歩んできた道をしっかりと作り上げてきた歴史そのものでもありますので、五井先生のテープをお聞きした後は、白光真宏会の教義と宣言文を、皆様とともにゆっくりと奉唱できるお時間を取ってまいります。

○では、これから五井先生のテープをお聞きします。皆様、目を閉じてでも、あるいは開けたままでも、ご自由にリラックスして、五井先生のお声に耳を傾けてください。では、よろしくお願いいたします。

<五井先生のご法話>

皆様、おはようございます。世界平和の祈りは、世界人類が救われると同時にね、自分個人も救われることを間違えちゃいけませんよ。

なぜ世界平和の祈りを祈ると自分も救われるかと言いますとね、自分というもの、「私と人類とが別なものである」と、みんな考えてるわけね。世界人類というものと個人というものは別のような感じがしてるんですよ。そうでしょ。

個人の私というものと世界人類が、なんか関係がないような感じが、普通はするわけね。自分ひとりがこうやったって、世界が動くもんじゃないですかね。「すべては政治の責任」とかってね。自分が関係ないような感じがしてる。

ところが、個人個人が集まって、国家なり人類になるわけですね。だから、個人の、一人の動きというのは、大変な力を持っているわけ。

そこで、皆様方のひとりひとりの世界平和の祈りは、大きな大きなひびきを持って、世界中に広がるわけなんですよ。

一人がやらなきゃ二人にならないでしょ。一人と一人で二人、二人と二人で四人になる。だから、肝心要の一人という人数は、大変なものなわけですよね。わかりますね。だから、ひとりひとりが大変な役目を持ってるって事(を自覚すること)が大事ですね。

世界平和の祈りというのは、世界人類のためにやるのだけれども、それはとりもなおさず、自分のためにもなるんですね。

自分の中にある病気だとか不安だとか、臆病な想いだとか、妬みの想いだとか、恨みの想いだとか、そういういろんな業想念がありますけど、それが世界平和の祈りを祈ると、世界平和の祈りが持っている大光明の中で、それらが消されてゆくわけです。

消えてゆく姿がどこへ行くかというと、大光明の中。救世の大光明のなかで、消されてゆくわけですね。それは、世界平和の祈りをもって消される時もあるし。「五井先生」って言って、五井先生の写真を通して消される時もある。

そして、業想念が消えてゆくと何が起こるかというと、人間は本来、神の分けいのちでしょ。神様のいのちそのものですね。(それが顕われてくる)だから本来の神のいのちがそのまま生きている。

年中、神の叡智や能力がこう入ってきてるんですよ。でも業想念で蓋をしちゃって、それを拒絶してるわけなんです、人間は。

頭のなかに溜まってる蓄電池の命のね、蓄電池の想いでもって、「ああじゃない」「こうじゃない」とやってる。それを蓄電池にしないで、常に直通するね、天地を貫くいのちの波にすればいいわけですね。

そのために、業想念という「ああじゃない」「こうじゃない」っていう想いを無くすんです。それが空になるというお釈迦様の教えだったり、無為にして為せという老子の教えだったりするわけですね。

それで、この業想念を取っちゃう。それが消えてゆく姿ですね。過去世からの業想念行為が運命となって現われて、病気になったり、不幸になったりして、いろいろするわけですよ。

それを現わした時に病気になって現われた、嫌な想いになって現われた、不幸になって現われた時に、「あっ、これは消えてゆく姿なんだな。世界人類が平和でありますように。みんなが平和になりますように」(と祈るのです。)

そういう想いで祈りますと。その悪いことはね、そういう祈りの中で消えてゆくわけですよ。消してくださるのは救世の大光明。神々が消してくださる。

で、消えてゆくに従って、「世界人類が平和でありますように」という愛の気持ちですね、愛の光明波動が、そのまま自分の中に残るわけですよ。

だから、世界平和の祈りをすると、消えてゆく姿で世界平和の祈りをすると、自分の今まであった悪いものが消えて、新しくね、もともとはもちろんあるんだけれど、新しくね。大光明のプラスの面がずっと入ってきて、それが今度は録音盤のように残ってゆくわけです。

だから、それを繰り返し繰り返しやっていれば、いつの間にか、過去世の悪いものがなくなって、世界平和の祈りのね、愛の気持ち、大光明の響きが自分の心をいっぱいにしてゆくわけですよ。

とりもなおさず自分の運命が治ってゆく(よくなってゆく)わけですね。世界平和を祈ることは、自分のために祈ろうと思わなくても、世界人類のために祈っても、自分のためになることになるわけです。

まあ、うちの人は正直だから、「世界平和は自分のためにするんじゃないよ」って言うと、「自分のためにするのやめようかな。俺はまだまだ、私は世界なんて思う身分じゃないから、自分のことでいっぱいだから」と思う人がいるといけないからね、念のためにね、申し上げておきますよ。わかりますね。

うちの人は正直なんですよ。ちょっと私が左手あげたら、私だってやらなきゃいけないと真似するくらいだから。

もっと広い意味でね。自分も救われると同時に、世界人類も救われるんだ。そういう風にね、広い気持ちを持って、気楽におやりなさいね。ただし、真剣にやってくださいよ。

今は大変ですよね。あらゆる面が地球人類の滅亡に向かって走ってゆく、ね。だから、よほどの努力をし、よほど真剣に働かないと、地球を支えてゆくことができないわけですよ。

そこで救世の神々ね。過去の聖者・賢者がみんな結集して救世の大光明として、私には世界平和の祈りをさせている。それから宇宙の天使の方々、宇宙人と呼ばれる宇宙の天使の方々が、宇宙子科学で私に働きかけてきている。

あらゆる面でね、この地球の業を浄めようと思って、皆さんの体を借りて、一生懸命やってるわけですね。しかし、張本人は、地球を救う張本人ですね。責任者は、やっぱり皆様のひとりひとりなんですよ。

皆さん方が地球を救わなきゃ救う者はないわけです。地球人類が地球を救うんですよ。

ただ、宇宙人にしても神々にしても、その助太刀として働いて下さるんだから、まず自分がしゃんとしてね。自分が救われると同時に地球世界を救うんだという固い決意を持ってね、世界平和の祈りを祈り続けてもらいたいと、こう思うわけですから。

常に自分の頭を塞いじゃだめですよ。脳の天辺を開いてね、神様と直流するように、神様と常に交流しているように開いとかなきゃいけない。閉じてたんじゃ、いのちの光が入ってこない、ね。知恵も能力も入ってこないわけですね。

だから頭をスキッと神様に向けて、いつも「神様、ありがとうございます」って、いつも神様に波長を合わせてる。そういう生き方をね、一瞬一瞬していれば、その人は常に神様の世界に住んでいるわけです。

そういう生き方に加えて、こうやって座禅と同じように座って、世界平和の統一をするということも大事。その二つを加えて、おやりになってくださいますようお願いいたします。ありがとうございます。

【由佳先生】
○はい。皆様、ありがとうございました。私たちの方からも、一言ずつ今日のテープを聞いて思ったことをお伝えさせていただきます。

○皆様もぜひ、ご自身の中で「今日はここが響いたな」「ここを掴んだな」という感想をお考えいただいたり、動画が終わった後に、(法友の方々と)そういう交流をしていただけたらと思います。

○私は今日お聞きした時に、二つのところがすごく響いてキャッチしました。「私たちの頭の蓄電池」というお話です。

○本当にその蓄電池、自分の過去の出来事や業想念を同じように溜めてしまって、そこでしか見えなくなってしまう。

○それは、五井先生はよく、肉眼ではなく霊眼、内の眼とおっしゃいますけれども、「蓄電池をとおして現象面ばかりを見ていると、閉ざされてしまい、繰り返してしまい、見えなくなってしまう」というところを、最後の方におっしゃられていました。

○「頭を開いて、神々様の波長と合わせて」とおっしゃいました。「じゃあ、そのやり方はどうするの?」と思います。その答えは本当にシンプルで、「世界平和の祈りを祈れば、自分も人類も救われる」とあります。

○とてもシンプルで、かつすごい。すごいというか、改めてそこに「ありがたいなあ」という気持ちになったのが一つ目です。

○もう一つは、このご法話をお話しになっていた1960年か70年代かに、「もうちょっと楽に、でも真剣に、今の現象があるから祈りなさい」と言った時に、何か冒頭の話とも繋がりますが、これを生で聴いて、その瞬間、あるいは直後に、瞬間瞬間、世界平和の祈りを祈られてきた方々にも想いを馳せていました。

○「その方々(その時代に五井先生のご法話を聞いておられた方々)の存在があって、2025年の今がある」ということを、改めて深く感じながら聞かせていただいていた、というのが私の感想です。では、真妃先生・里香先生、いかがでしたでしょうか?

【真妃先生】
○私は今日、改めて五井先生の「世界人類が平和でありますように」という祈り言葉の背後にある深い想いと、この祈りが持つ計り知れない意義を、五井先生のお声でこうやって聞かせていただき、自分の中に染み渡るような気持ちになっていました。

○こういう祈りに触れ、人生の中で出会えたっていうことが、本当にありがたいことだなっていうことをしみじみと感じていました。

○世界中には色々な祈りがあるし、どんな祈りも、おそらく人間が幸せに穏やかに生きられるために生まれた祈りだと思いますが、五井先生がこの世に降ろしてくださったこの世界平和の祈りの祈り言葉は、五井先生がおっしゃておられますが、本当にシンプルな、でも、すごく深い本質に繋がれる祈りだなあと思っております。

○私たちは、歩きながらでもいつでも、ふとした瞬間に、「世界人類が平和でありますように」と祈れるし、その「世界人類が平和でありますように」って祈った瞬間に、すぐに自分の意識が神の世界へ入り、そこに自分の身を置くことができます。

○肉体を持ちながらも、神の世界に自分のすべてを置くことができるわけです。その世界に心身を置くと、自分が今抱えている苦悩や、目の前に広がるさまざまな問題、過去から現在に至るまでの誤てる想念が生み出した世界を俯瞰して観ることができます。

○私たちはそのように、自分の意識で、意志で、そしてこの祈り言葉をとおして、自由自在に肉体界の五感で世界を見ることもできるし、すぐに神の世界に身(意識)を移して、この世界を俯瞰して観ることができます。

○そのように、世界平和の祈りによって、いろいろな世界を行ったり来たりをすることができることが素晴らしいなあと思います。

○私たちには、その選択の自由が与えられています。また、今自分に与えられている消えてゆく姿から目を背けたり逃げたり、蓋をすることなく、消えてゆく姿が静かに消えてゆくことを信じて祈ることができます。

○ときには、信じてはいるけれど、その渦の中にいると、どうしても信じられなくなって、その苦しみから逃げたいという想いにはまることもあります。肉体を持っているからこそ、そのように「逃げたい」という想いが出るのは当たり前です。

○熱いものに触り続けたらやけどしますから、熱いものがあったら手を外したいと思うのは、自然な反応です。そうした反射的な想いがある中で、逃げることが答えではなく、信じて待ち続けることを私たちが出来るようになるための、本当にありがたい祈りが「世界人類が平和でありますように」って祈りであります。

○世界平和の祈りに意識を向けることにより、私たちは、消えてゆく姿が消えてゆくに至るまでの状態を、静かに待つことができますし、この祈りを発信することにより、自分自身を穏やかにすると同時に、その祈りが持つ言ことばのひびきを世界に発信して、徳を積むこともできます。

○そして、私たちがそうした経験をすることによって、自分と同じように苦しんでる方々に、愛のひびきのお支えを届けることができます。

○『消えてゆく姿で世界平和の祈り』というのは、自分が自身の消えてゆく姿を静かに見つめると同時に、同じような状況に身を置かれるほかの方々の心境をも支えている、ものすごく美しい祈り言葉だということを、今日は改めて感じました。

○私たちは、この祈り言葉とともに生きてゆきさえすれば、私たち自身は、何も不安に思うことがなく、自身に与えられた天命をまっすぐに完うすることができます。

○緩和ケアの病棟で働いている中で、人の命の最後に立会い、いつも感じているのは、「どんな人の命も平等だ」ということです。

○どういうことかと申しますと、すべての人たちが、自分たちが獲得してきたさまざまな名誉とかお金とかが、もう最後の瞬間には、何の意味も成さなくなる。みんなそれが使えなくなるわけです。お世話していただいて寝る中で、お金も名誉も何の意味もない。

○そこに寝て、そこに身を置いている自分にとっては、ある意味、何の意味も持たないわけです。残された家族にとっては、意味があるかも知れません。

○しかし、その方自身にとっては、どんな祈りを自分が持っているかということが、最後の最後に、その方自身を支えている。寝ながら、いろいろなことをいろんな方に助けてもらいながら過ごす中で、自分の中で自由になるのは想像力だけです。

○寝たきりの状態の中で考えるその想像力をとおして、どこと繋がるかというのは、その方自身が最後まで自身の権限下における中で、日々培ってきた祈りであったり、日々出会ってきたいろいろな法友神との思い出だったり、語ってきたことであったり、自分が人生をとおして成し遂げてきた様々な徳であったり、そういうものが本当に最後の瞬間、自分に豊かな時間を与えてくれます。

○私たちは今生きている中で、こういう素晴らしい祈りに出会えており、この祈りとともに生きるということがどういうことなのかということを体験できることによって、この肉体を去る最後の瞬間に、私たちは自分が培ってきたものをとおして、最後に自分自身を支えることができます。

○そのように、自分を支えてくれる世界平和の祈りの祈り言葉は、個人の救われと人類の救われを同時に行なうすごい祈りなのだなということを、今回の五井先生のお話を伺いながら感じました。

○今日も皆様と、この祈り言葉を改めて大切に祈ってまいりたいですし、これからの二週間、次の動画による祈りの会で出会うまで、この祈り言葉を大切にして生きるということが、どれだけ私たちの今を豊かにするのかということを、体感していただきたいなと思いました。ありがとうございました。

【里香先生】
○ありがとうございます。本当にお2人がすべてお話ししてくださったなという気持ちで今います。本当に私たちが常に祈っている「世界人類が平和でありますように」という祈りの深さというものは、どこまでもどこまでも深いものだと感じています。

○このお祈りは、「言うは易く行うは難し」ではありませんが、入るのも穏やかに入れるけれども、これを極めれば極めるほど、無限の宇宙、宇宙の彼方の次元のものであって、果てしなく私たちを高め上げてくださいます。

○真妃先生がおっしゃったように、いろんな祈りがすべて愛から生まれていて、平和のための祈りが生まれてるんだけれども、やはり「この祈りは、五井先生が覚者として神我一体を経験され、宇宙神の大元のひびきを、誰でもが理解できてシンプルに祈れるようにという五井先生、そして神々様のご愛念だな」と思った時に、本当にシンプルで、誰でもいつでも唱えられる、「なんだったかな」と思い出さなくても、すぐに心から祈れる。

○そういう祈りこそが、やはり唯一無二の祈りなのかなと思います。ですから私たちも、ますますこの祈りを意識して、どこまでも深いところに、この波動とともに入っていって、そしてたくさんの愛を、みんなに届けて行かなければいけないなと思いました。五井先生、ありがとうございました。

○はい。それでは、今日は丁寧に、『人間と真実の生き方』、そして『我即神也』と『人類即神也』の宣言文を奉唱してまいりますので、よろしくお願いします。

○ゆっくりと、一言一言を噛み締めながら、言の葉になる前の「言ことば」を五井先生が降ろしてくださった波動として奉唱して、私たちの心身の細胞の奥深くにまで、このひびきを浸透してゆきたいと思います。

○ゆっくりと、一言一言を噛み締めながら、言の葉になる前の「言ことば」を五井先生が降ろしてくださった波動として奉唱して、私たちの心身の細胞の奥深くにまで、このひびきを浸透してゆきたいと思います。

<人間と真実の生き方 – 日本語と英語>

<我即神也の宣言文 – 日本語と英語>

<人類即神也の宣言文 – 日本語と英語>

【由佳先生】
○はい。皆様、ありがとうございました。人間と真実の生き方、我即神也、人類即神也を、久しぶりに日本語と英語で、一つ一つの言葉を意識しながら皆様とともに奉唱でき、2025年にまた素敵な時間を過ごせたと思っております。

○では、いつものように、最後に一回、皆様とともに神聖復活の印を組んでまいりますので、よろしくお願いいたします。

<神聖復活の印 – 心を込めて一回>

○目を閉じていただき、今組んだ神聖復活の印の光が必要とされている世界中の場所、地域、人々、動植物などに届いていることを意識しながら、静かな時間を取ります。

<印の光が行渡っていることをイメージする時間>

○はい。ありがとうございました。里香先生、何か一言、先生ありますか?(※真妃先生はこの時点でご退席されていました)

【里香先生】
○皆様、本当にこうやってお祈りにご参加くださいまして、ありがとうございました。

○「言ことば」を預かる者として、私たちは生きています。ですから、「言ことば」を預かる者として、五井先生がおっしゃったように、無理をしなくていい気軽さを持ちながらも真剣に、この祈りを行なってゆきたいと思います。

○平和への祈りというのは、この世的に平和にしなければと思ったら、あくせくあくせくと、いろんなところに行って、あっちへ行って、こっちへ行って、あそこに行ってと、いくら肉体があっても足りません。肉体をとおしてだけ、だとです。

○しかし、「言ことば」を預かって生きている私たちが真剣に祈る時には、「動かずして無限なる働きができる」と、五井先生も仰っておられましたが、物理的に体を動かし、あくせくあくせく、いろいろな所へ行って、「はあはあ」息を切らさなくとも、真剣にこの身、この器を神の器と自覚しきった心で、真剣に一回、これを祈るだけで、「私たちは動かずして、それはそれは無限な働きをしているのだ」と、その深い自覚を持つことの大切さを改めて、今日の五井先生のお言葉、ご法話をお聞きして思いました。

○「この祈りをとおして、動かずして無限なる働きをさせていただける私たちは、何てありがたいんだろうか。この祈りとご縁を頂けて、なんてありがたいことだろうか。そして、皆様方、同じ祈り人として、同じひびき、預言、「言ことば」を預かる者として、こうやって繋がり、この時間をともに過ごせることが、なんてありがたいことなのか」と、もう感謝しかありません。皆様、ご参加いただきまして本当にありがとうございました。

【由佳先生】
○私たちが「言ことば」を預かる者として、その時が1960年代であろうが、80年代であろうが、2000年代だろうが、2024年だろうが、25年だろうが、結局、やることはどの時代、どの瞬間もまったく変わりません。

○里香先生が仰ってくださったように、私たちの人生は、「言ことば」を預かる者として、見えない大いなる神の世界のひびきをしっかりと顕現し続ける、そういう人生なんだなということを改めて感じさせていただく一日でした。

○また、里香先生から丁寧にご説明いただきましたけれども、3月4日の火曜日に富士聖地で行われる『ホーム・フォー・ヒューマニティのお二人との共同開催イベント』ですけれども、白光誌では一回しかご説明ができなかったので、くどいようですが、もう一度ご紹介させてください。

○3月4日の火曜日、午前11時から、このお二人をお招きして、白光真宏会との共催イベントを行ないます。当日は野外会場ではなく、本館前広場で開催されます。そして、インターネットでの同時中継も決定いたしましたので、ご無理していらしていただく必要はなく、同時中継で当日、ご自宅からご覧いただけるようにしておりますので、ご関心がある方は白光のホームページをご覧いただけたらと思います。

○ということで、本日の動画による祈りの会を終了させていただきます。本日もまことにありがとうございました。では失礼いたします。

 

以上