12月16日(土) 午後8時53分から 『神聖で繋がり合う日』
Zoom祈りの会にご参加の皆さまへ
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想いの動きを意識的に観察しながら過ごしておりますと、「ああ、私は今、肉体(からだ)こそが自分なんだ、人なんだ、人類なんだと決め付けてしまう習慣の想いに入り込んでて、神霊としての本心本体を無自覚的に忘れてたんだな」と自覚することが時折あります。
そのようなときに私達は、他者に対する善意や善導が一方的な押し付けになってしまっている状態に気が付けないでいることがあります。そのような精神状態のときは、せっかく大調和を志向し善意で人と関わりながら、その実、自と他を引き離した高みに己を置き、善の押しつけをしています。
それは、二元対立の意識境涯であり神聖を忘れた想念習慣でありますから、“心のアンテナ”を研ぎ澄まして、自らの心の立ち位置が今全体の中のどの地点にあるのか、意識座標をしっかりと把握しておくことが肝要です。
宇宙の真理を身に修め、生命の根源へと回帰してゆく道程は人の数だけあります。そのようなことを想うとき、私はいつも富士山の頂上を目指す登山の有り様を思い出します。
富士山は単体でそびえる円錐形の山ですから、登山道のある道を行っても道なき道を歩んでも、東西南北どこから登っても、誰もが頂上へ辿り着くことが出来ます。
真理の頂きを目指し生命の大元へと帰りゆくひとりひとりの生き様は、この富士登山に例えることができます。例えば、東側から登っている人と西側から登っている人がいるとしますと、その人たちがそれぞれに見ている道中の景色はまったく違う景色であります。
私達が肉体にありながら他者と関わり生きているその様は、異なる意識座標を歩みながら違う景色を見つつ、無線で励まし励まされの会話をしている登山者同士に例えることができます。
その場合、意識の深奥たる上空から俯瞰する意識視座を持ち合わせていなければ、話している相手が今何処に居て、どんな景色を見ながらどのような状況にあるのかまったくわかっていないため、自分がそこに至るまでに歩んできた状況の経験則だけを頼りに、相手にアドバイスするようなことをしがちです。
しかし実際には、登っている山道の状況も異なれば見ている景色も違うため、そのような状況で行なうアドバイスは当てずっぽうになりがちで、的を射た内容であるとは限りません。
そこで大切になってくることは、私達が耳にタコができるほど聞いてきた「相手に寄り添う」という心の立ち位置です。今回のたとえ話でいいますと、そのような状況下で相手に寄り添った言葉をかけて差し上げるためには、富士山周辺を上空から俯瞰する神聖の視座を心に持ち見つめることです。
例えるならそれは、円盤に乗りながら地上の状況を観察するような意識視野です。神聖科学の粋(すい)を集めた円盤という乗り物は、上空の機内に居ながらにして全体を俯瞰的に見ることもできれば、特定の地点にフォーカスしてその地点の状況をつぶさに観察することもできます。
私達が肉体にありながら互いを神聖の存在と認めながら、状況に応じて“相依り相教え相拝す”ためには、大調和という宇宙の真理・法則に則りながら、肉体意識と共に神聖の意識座標を持つことです。
それは先週もお伝えしました『観る側の意識』と『観られる側の意識』を同時に持ち合わせることともいえますし、守護霊意識との一体化を果たした状態ともいえます。
この地球には三百万種から一億千百万種ともいわれる生物が生きていますが、前述のように観る側と観られる側の意識を併せ持ち、生かされる側でありながら生かす側でもある生物は人類だけであります。
これからの時代の人類は、そのように個体としては生かされる立場でありながら、生命意識の側に立てばすべての内に自らを自覚する宇宙心を併せ持つ存在に変容してゆきます。
そのプロセスにありながら私達が為すべきことは、ただただありとしあらゆるもののうちにある神聖を認め、愛(め)で、感謝の光で包み込むことです。
そのようにしながら神聖復活の印を組みつづけてまいりますと、地球天地を創造しているのが他の何ものでもない私達の認識力であることに確信を持てて、いかなる予言にも左右されずに、明るい未来に邁進してゆくことができます。
土曜日の夜はそのように、真に他者に寄り添える俯瞰の視座に立ちながら、内外の世界に神聖の光を振り撒いてまいります。
(※ご参考までに、『小説阿難』のなかの「相依り相教え相拝す」の箇所の抜粋を文末に記載します)
【プログラム】
1.世界平和の祈り - 日本語と英語 (統一CDによる三分半の深い祈り)
2.ワンネスのメディテーション
3.地球世界感謝の印 12項目
地球世界感謝の印は、YouTube動画に合わせて行ないます。(BGMなし)
4.神聖復活の印 7回連続×3=21回
神聖復活の印を組んでいる間は、地球の映像を表示します。
(FAXでのご参加、または時間を合わせてご参加くださる方は、公転しながら自転する地球を大気圏の外から心眼で俯瞰している気持ちで神聖復活の印をお組みください)
<一回目の宣言>
空気、水、大地、宇宙…、
私達はすべての自然と一つに結ばれています。
すべての自然の天命は完うされています。
<二回目の宣言>
私達は地上・地中・水中・空中に生きる
すべての生物と一つに結ばれています。
すべての生物の天命は完うされています。
<三回目の宣言>
私達はすべての人類と一つに結ばれています。
世界人類の天命は完うされています。
5.世界平和の祈り - 日本語と英語 (統一CDによる三分半の深い祈り)
以上
無限なる感謝
斉藤雅晴
※「相依り相教え相拝す」とは、現代に生きる私達の心構えで、『小説阿難』の一節に出てくる阿難の言葉です。参考までにその部分を記載します。
“雨舎(うしゃ)よ、我等は人によらず、ただ法(のり)によって結ばれている。
我等は共に村邑(むら)を遊行し、集う時には法を知れる比丘(びく)を請(しょう)じて教を乞い、そのいうところ清浄なれば、共に喜び、その教を行に現わし、彼の比丘もし誤りあれば、我等は法に随(したがっ)て教(おし)う。
かようにして多くの比丘は教を一つにし、行いを一つにして水乳の和合するが如く和合しているのである。
雨舎よ、私がさきに世尊と等しき比丘なく、依るべき比丘なしというたが、この意味において諸々の比丘は、互いに相依り相教え相拝しているのである。
人に依らしめれば自ずからそこに情が生じて、教に誤りありても、その誤ちに心づかぬようになる。
ひたすら法によりてこそ、威儀を守り、広く学び、友誼(ゆうぎ)を尽し、善を修め、智慧を研することが出来るのである。“
五井昌久著『小説 阿難』より