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[ZoomLetter:01690] 1月13日(土) 午後8時52分から 『神聖で繋がり合う日』

  

113() 午後852分から 『神聖で繋がり合う日』

Zoom祈りの会にご参加の皆さまへ

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名実ともに神聖復活した心境で在り続けるに至る直前の段階で、私達が避けて通れない課題があります。それは、感情想念に把われず、個でありつつも全体を認識しながら生きる練習をすることです。

すでにその段階を通り抜けられた方もおられますし、今まさにその渦中の方もおられます。また、これからその段階を通る方もおられるかと思いますが、感情の手綱をしっかりと握り、自由に制御できる境涯に立つためには、神聖そのものとして生きる覚悟を持ち、想念・言動行為に行ない顕わすことが必須であります。

それは、出来たつもりでいることでもなければ、フタをして見ないようにすることでもありません。不動心であることです。本当に神聖の視座に立つと人は、何を見ても聞いても、何と触れ合ったとしても、本当に心が乱れないでいられます。そのときの意識には、愛以外の不純物が一切見当たらないのが特徴です。

それは知識としてはおなじみの、”何ものにも犯されない心境”です。見たり聞いたりしたもの、味わい嗅ぎ触れたものに、昔からの癖でいちいち感覚的に、「これは正しい、正しくない」「あれは好き、嫌い」とジャッジメントを下していたのでは、いつまで経っても神聖の境涯が私達のものにはなることはありません。

こういった感情想念にかかわる話に触れると、にわかに心が曇り空になる場合がありますが、それは自身(自心)の中に沈殿していた把われの想いが反応して浮かび上がり、消えてゆこうとしているからです。(そのとき守護霊は私達の内部で、その機会を通じて思い込みを手放させようと働かれています)

その段階を卒業している場合は、このような話に触れても心が乱れません。「なぜ」「どうして」とも思いません。なぜなら自分自身がいつか通った道であるため、現代の世界人類の心境が手に取るように理解でき、それらを温かく包み込んだ、歴史を通読する眼で現象界を見つめているからです。

感情想念に把われなくなるための課題実習の実例として、私の直近の経験をお伝えします。最近はテレビをつけると、能登半島地震の被災状況や、パレスチナとイスラエル、ウクライナとロシアのいがみ合いの模様などが報じられています。羽田の事故も報道されていました。

最近は、そうしたニュースに触れるだけで目頭を熱くしていますが、数日前に「その境涯に止(とど)まっていてはいけない。一瞬は触れたものに心を動かされても(悲しんでも喜んでも)かまわないから、すぐに太陽のように分け隔てのない光そのものの意識に立ち返ることが出来るよう練習すべし」という直観がありました。

共感疲労という言葉があるそうです。それは、「このように色々なことがあちこちで起こって世界が大変なのに、自分は普段どおりに生活していてもよいのだろうか?」と自責感を覚えたり無力感を感じたりする心理的状況なのだそうです。

「私の場合はどうだろう?」と考えましたが、ニュースに感情移入をして、その度に心が晴れたり曇ったりするようでは、本ものの神聖とはいえません。その意味で、私は共感しても把われない練習をしている段階なのだと思いました。

冒頭に書いた「感情想念に把われない」を実践するためには、「掴まなければいい」「手放せばいい」という紋切り型の回答がありますが、掴んでしまい手放せないから困っているので、それでは回答になりません。

ではどうすればいいのかということになります。方法はたくさんあります。それは人が画一的な存在ではなく、様々な通り道を生きてきたが故に、傾向も性質も十人十色だからです。ここでは代表的な例を、要点をかいつまんで紹介します。詳細については、勉強会にてお伝えします。

(1) マイナスの想いが出るたびに、光明の思考に切り替える練習をする
(2)
人間の本質を端的に表わした言葉を一日中唱え続ける
(3)
一日中、守護霊への感謝に徹し、他の想念の入り込む隙間をなくす
(4)
歩いているとき、お風呂やお手洗いの時間、起床・就寝の直後などの一人の時間に、光明の宣言をひたすら繰り返し、他の想念が浮かばないように練習をする(「私は神聖そのものだから不可能はない。必ず出来る」など)
(5)
一日中、見たもの、触れたもの、聞いたこと、味わい嗅いだものに対して感謝し続ける
(6)
手放したい事柄を思い浮かべて、ひたすら祈り言葉の中に投げ入れたり、神聖復活の印を組んだりする
(7)
臍下丹田に意識の中心が収まっていることを意識しながら過ごし、瞑想を通してお腹の底から思い通りにならないすべての事象を抱きしめる練習をする
(8)
一日中の呼吸を、ひたすらゆっくりとしたリズムで行なう練習をする

上記の項目を見ると、すべてに共通した要点が見えてきます。それは腹をくくって継続的に行なうということです。上記の項目に怯(ひる)む気持ちが出たとしたなら、それは腹が決まっていないといえます。または、神聖の存在として生まれ変わって生きる覚悟を定めていないともいえます。

いつも申し上げております俯瞰の視座を常住視座にするためには、「人間だもの、仕方がないよ」というエゴさんが自分をかばう想いをも抱きしめて、守護霊の懐の中に意識を上昇させることです。

土曜日の夜はそのように、守護霊の懐に抱(いだ)かれ、守護霊の視座を自身の視座とした意識で、地球全体を抱きしめ、印を通して、いのちの根源からの光を放ってまいります。

【当日のプログラム】
1.世界平和の祈り - 日本語と英語

2.ワンネスのメディテーション

私達は今、神聖文明を築きながら共に働いている。
We are now working together to create a Divine Civilization.
人類も手を取り合い、協調の道を歩み始めた。
Humanity is also beginning to walk hand in hand toward the way of harmony.

3.五感の次元上昇の宣言

*眼
「この眼は人を見るためにあるのではない。人の中に光を見出してゆく為の器官である。」
*耳
「この耳は人の言葉を聴くためだけにあるのではない。真理の言葉を聞く為の器官である。」
*鼻
「この鼻はにおいを嗅ぐためだけにあるのではない。呼吸法によって宇宙神、本心と交流する為の器官である。」
*口
「この口は食べるためだけにあるのではない。真理の言葉を語る為の器官である。」
*触覚
「この手足は触れるためだけにあるのではない。大自然、生きとし生けるものの中に神のひびきを感じる為の器官である。」

4.地球世界感謝の印 12項目
 地球世界感謝の印は、動画に合わせて行ないます。

5.神聖復活の印(一回目3回、二回目5回、三回目7回)
神聖復活の印を組んでいる間は、地球の映像を表示します。
FAXでのご参加、または時間を合わせてご参加くださる方は、公転しながら自転する地球を大気圏の外から心眼で俯瞰している気持ちで神聖復活の印をお組みください)

<一回目の宣言> 印を三回連続
私達の肉体は本来、宇宙神と一つに結ばれている。
故に私達は、その無限のエネルギーで肉体を活性化し、神そのものとして生きてゆくのだ。

<二回目の宣言> 印を五回連続
私達の心は本来、宇宙神と直結している。
故に私達は、宇宙が私達の心の中にあることを自覚し、調和した心をもって生きてゆくのだ。

<三回目の宣言> 印を七回連続
私達の魂は本来、宇宙神の光の分神である。
故に私達は、宇宙を創造し動かしているその大いなる力を、肉体の心と体に活かして生きてゆけるのだ。

6.世界平和の祈り - 日本語と英語

 

以上

無限なる感謝
斉藤雅晴