「神人」第13号(2004年9月)より
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むかし、統一会におけるある男性の発言に対して、五井先生がめずらしく一喝されたことがあった。
その翌日のことである。新田道場のお浄めのお部屋から出ていらした先生が、つかつかと私の前に立たれた。午前十時のお祈りの直前だったので、誰も居合わせず、私一人だった。
先生は笑顔で話しかけて下さった。
「ねえ、人間の想いの習慣を変えようというのは大変なこと。例えばネ、水の流れを変えようとする時は、土手を造ったり、土嚢を積み上げたりして、水を堰きとめてから、別の方へ流すでしょ。ましてや人間の想念の流れを変えるのは、容易なことではない。大きな力がいるのです。だから私は叱るんですよ。
私の"叱る"は"光る"だからね。相手にうんと光を入れるんです」
私はしっかり肝に銘じたのであった。
※五井先生は江戸ッ子で「し」「ひ」の区別がつかない。それで叱るが光るになったかもしれない。――高橋英雄注――
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「私は人間が好きだね。花や草木でも、動物たちでもみんな好きだし、自然はみな勿論、すぱらしくて好きだけど、人間ほど面白いものはない。人間は本当にすばらしい」
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「ああ神さまは公平だねえ。なんであの人が……と思ってみることもあるけれど、ズーッとよく見ると、やっぱりそうなんだねえ、神さまは実に公平だ」
ある日のこと、まるで独り言のように話していらっしゃったことがある。
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世界平和の祈りが打ち出された時のことである。
その頃の私は、自分の心をよく見つめると、世界のことより、自分と自分の周辺の平穏だけが念頭にあることに気づいた。
頭では世界の平和の大切さがわかっているのに、感情は自分の域を脱していないことが情けなかった。
「私は世界平和の祈りを、そらぞらしく、口先だけでしているような気がしますけれど、そんな状態でもお祈りつづけてよろしいものでしょうか?」
と先生に質問した。
「気持をこめていなくても、口先だけだと思ってもいいから、祈っていらっしゃい。そのうち自然に本気になってくるから」
とおっしゃったが、そこには何か大きな強い広がりのようなものを私は感じ、安心して祈って行こうと思った。今では、
"先生のおっしゃった通り、本当に本気になれました。本気どころか、今は、世界人類が平和でありますように、がすべてです"と私は五井先生に申し上げ、心から感謝申しあげている。
※五井先生が「世界平和の祈り」を提唱したのは昭和30年(1955年)。この年、宗教法人が設立された。
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五井先生のまわりには、いつも自然と人が大勢集まっていた。当時はまだ真理がほとんどわかっていない私たちなので、女性の中には、五井先生に憧れ、敬愛するあまり、まるで恋人に対するように、なれなれしい態度をとる人もあった。
またそれを見て、むらむらと嫉妬心をかき立てられる人もあった。
そんな日々の中で、あるとき五井先生は、少人数の集まりでおっしゃった。
「わたしはね、全く自分が無いから済んでいるんですよ。いろんな人があるからね。純情で妖艶な人なんていうと、たいていの男はひっかかるだろうね。
私はネ、時には川岸の草なんかにつかまって、流れに身をのり出して、流れてゆきそうな人を救い上げる――というような場面もある人です。
捨て身だからね。
そんなとき、私にちょっとでも私心があったら、一緒に川に流されてしまって、いのちはないのです。
私はこの通りに生きているでしょ。だから絶対心配いりません。どんな女性が近づいてきても私は大丈夫です。
大体ね、一人の人間を救えないようなら、世界を救うことは出来ないからね」
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先生のお賞めの言葉について。
「本人に向ってではなく、私が他の人に"あの人はいい人だね"って言うときは、それは本当なのです。
本人に向って言うときは嘘かというと、決してそうではないが、励ましの気持が多分に入っている場合が多い。
けれど私は無責任に賞めっ放しにはしない。
必要があって一時賞め上げても、本人が錯覚して、あとで困るようなことにはしない。
時を見て、必ず正しく受けとれるように納めておく」
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「何事も水の流れるようにサラサラと流しているのがいいね。
たとえ善いことであっても、溜めておかないで、すぐ流すのです。
水でも溜めると淀むでしょ。
そうすると汚れてくるんです。
善いことも悪いことも、何もつかまないで、サラサラと生きることだね」